145年前に始まった神戸、正統派洋食の歴史を受け継ぐ老舗

【連載】正しい店とのつきあい方。店や街とのつきあい方がわからない人が増えている。初めてなのに常連と同じように扱われないと怒る人や金さえ払えば何でもしてくれると思う人。お客様は神様、などではない。客としてのあり方を街と店に深い考察を持つ江弘毅氏が語る。※こちらの店舗は閉店いたしました

2015年12月22日
カテゴリ
コラム
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145年前に始まった神戸、正統派洋食の歴史を受け継ぐ老舗
Summary
・日本における「フランス料理の父」と神戸の関係
・オリエンタルホテルから生まれた洋食
・往年のレシピを知る数少ないシェフ

オリエンタルホテルというホテルがあったこと

前回に引き続き、神戸の洋食のことを書く。
外国航路のコックたちが「陸に上がって」始めた洋食の系譜と、もうひとつ[オリエンタルホテル]の洋食について。

神戸の居留地にあったオリエンタルホテルのレストラン(現・ORIENTAL HOTELと同名だが、レストランに関しては直接的なつながりはない)は、日本の西洋料理の嚆矢だろう。
1868年(※慶應3年)に神戸港が外国に開かれた戸口として開港し、それで外国人居留地が出来た。わたしが長い間やっていた「Meets Regional」誌でも、ミナト神戸から次々と西洋の文物が取り入れられたこと、そしてそのひとつとして洋食があることを何回も記事で扱った。
ちなみに再来年、2017年の1月1日が神戸開港150周年で、元町駅南には神戸市による大きな掲示板が立てられている。公募によって決定されたロゴマークと一緒に「コーヒーも映画もはじめは港からやってきた」というコピーがおどっている。

その居留地にいちはやく「日本最古級」と表現されるオリエンタルホテルが建ち、とりわけレストランが盛況だったという。
面白いのは、当時われわれがオリエンタルホテルのことを「1882年(明治15)仏人ビゴによって創業」などと書いたものだが、その後、明治3年付けの新聞広告が見つかり、現[ORIENTAL HOTEL]のホームページには、創業は「神戸開港間もない1870年(明治3年)」とある。
この時の経営は「ファン・デル・フリース&Co.」。表記でもわかるようにオランダ人だった。
神戸開港以前、つまり鎖国時代は長崎の出島でオランダと清国のみ外交貿易を関係にあったので、明治維新以降日本においてのオランダ人の活動には一日の長があった。

ただフランス人のルイ・べギューが、1887年(明治20年)に居留地81番地(実は80番地という説も)で開業した明治20年代のオリエンタルホテルについては、世界中を旅行していた英国のノーベル賞作家のラドヤード・キップリングが宿泊したときのことについて、とくに料理や日本人従業員のサービスについて、他国の一流ホテルのものよりも優れている、などと絶賛している。
コーヒーはフランス流だとも。

日本のフランス料理の父、ルイ・べギュー

ルイ・ベギューは1868年(明治元年)に、東京築地の外国人居留地に開業した[築地ホテル館]で初代料理長を務めた後、横浜グランドホテルの初代料理長を経て、1888年(明治20年)に神戸オリエンタルホテルの社主となった。
宮中晩餐会の料理も手がけ、日本における「フランス料理の父」と称されるベギューは、オリエンタルホテルを東洋を代表するホテルに育てた。
ちなみにその3年後の1890年(明治23年)には、日比谷に「日本の迎賓館」帝国ホテルがオープンするが、開業にあたり鹿鳴館から初代料理長として迎えられた吉川謙吉は、鹿鳴館の前に横浜グランドホテルでベギューの下で料理を学んでいる。

オリエンタルホテルは1899年(明治32年)に居留地が日本へ返還され、1906年(大正5年)に東洋汽船が買収するまで外国人所有であり、オランダ系、英米系、フランス系と変わり、所在地ももちろん建物もその都度変わってきたから、書かれた資料も少なく(写真は多いが)いささかややこしい。

レストランの料理についても、ベギューの仏料理のみならず、いろいろとオーナーが代わったので、いろんな様式、料理法が取り入れられ、フュージョンされたものだろう。
ちなみに、1902年(明治35年)には英国領事館の副領事夫人が、イギリス料理のレシピ『高等料理法』を上梓し、神戸でベストセラーになっている。

オリエンタルホテルが本当の黄金時代を迎えるのは、第一次世界大戦が勃発した後の好景気に乗って、神戸を舞台に造船業、海運業で大儲けした「船成金」が幅を利かせていた大正初期。
神戸の総合商社・鈴木商店が、1918年(大正7年)の米騒動で焼き討ちにあったものの、三井三菱を凌ぎ翌年に日本のGNPの1割を売り上げた頃だ。

京都・大阪・東京に約10店舗ある日本屈指の老舗バー[サンボア]の本店も、同じ大正7年に神戸・北長狭通6丁目に開店している。このバーの名物ハイボールは、ステアはしない。タンブラーに冷やしたウイスキーを入れ、そこに同じく冷やしたウイルキンソン炭酸水1本分190CCを一気に注いでつくる。
冷蔵庫なんてない時代だ。上段に氷、下段に食材を入れる氷式冷蔵庫(箱)ができたのも大正初期。氷も貴重品だった。
だが神戸には「ウヰルキンソン炭酸水」があった。1889年(明治22年)頃、英国人ジョン・ウイルキンソンが狩猟に行った宝塚の山中で天然の炭酸水を見つけ、それを瓶詰めして量産した。

日本郵船のコックで英サヴォイホテルはじめ欧州各地に派遣された伊藤寛が陸に上がって始めた南京町の「伊藤グリル」は、1923年(大正12年)創業だ。
これらの神戸の街場の飲食店も鈴木商店本店も、居留地から歩いて行ける距離にある。神戸港のお膝元の街、元町界隈の話だ。

100年前のレシピ

さて、オリエンタルホテルの料理、とりわけカレーを見てみよう。
2001年のことだ。オリエンタルホテル名誉総料理長の石阪勇さんが地元神戸の食品会社のカレーを監修した際に「旧オリエンタルホテルの100年前のレシピを再現したカレー」としてニュースになった。

再現したそのレシピはあきらかにオリエンタルホテルのもので、100年前から伝承されたものだが、ホテル自体が20年前の阪神淡路大震災で全壊、廃業したこともあって、厨房で直に料理を受け継いだオリエンタルホテルのコックたちも少なくなった。
またホテルは1945年6月5日の神戸大空襲の爆撃で焼失。'49年に場所を替え再開した。居留地6番地、海岸通りである。新刊を増築し本格的に稼働したのは'52年である。

元町山手に店を構える「帝武陣」は、1962年から石阪さんの下で20年間オリエンタルホテルのコックを務めた山田美津弘さん(現71歳)が、'83年に独立して開いた店だ。
ホテルは'64年に京町に移転しているから、海岸通りにあったホテルの旧いレストランで働いた数少ないコックである。まだ石炭ストーブがあってそれを日常に使っていたという。

わたしは山田さんの「西洋料理店」には、20年来よく食べに行くのだが、かれが引き継ぐオリエンタルホテル式のカレーは、日本のカレーライスのルーツといわれる英国海軍式を真似たものではなかったのではないか、と思うに至っている。
黎明期にフランス人ベギューと、その弟子筋の鈴本敏雄が料理長を務めたことが浮かぶからだ。

「築地精養軒」5代目料理長として知られる「名人」鈴本敏雄は、オリエンタルホテルの料理長から、その前の4代目料理長の西尾益吉の後を継ぐかたちで精養軒に迎えられている。
鈴本は1920年(大正9年)にエスコフェの本に準じた料理人向けの解説書『仏蘭西料理献立書及調理法解説』を著している。

鈴本の先代料理長であった西尾は築地精養軒に入った後、日本人料理人としてはいち早く渡仏し、パリの[リッツホテル]で修業をする機会を得た。当時リッツには近代フランス料理を体系づけたエスコフェがいた。

「天皇の料理番」秋山徳蔵は、西尾がエスコフェに師事して帰国後、築地精養軒の料理長だった時代にその下で働いている。西尾のレシピを盗もうと部屋に入り、それを書写したのがバレて、解雇寸前になったという逸話はよく知られている。
秋山もその後、西尾に倣ってリッツに修業に出た。

日本において西洋各国料理の混交といわれている「洋食」の起源が、ことその黎明である明治期、オリエンタルホテルと精養軒によってつくられてきたのだ。
そしてその料理は、何流何重にもフランス料理に直に影響を受けている。

このような流れのなかで、旧オリエンタルホテルのレシピを受け継いできたのが「100年カレー」である。旧オリエンタルホテル出身のコック達のうちでは「ダブルオニオンカレー」と呼んでいるものだ。
それは1日30食分のカレーをつくるのに、ブイヨンに普通の玉ネギのみじん切りのソテー2㎏に加え、スライスして揚げたフライドオニオンを乾燥させてナイフでパウダー状にしたもの2㎏を使う。
2種類に下ごしらえした玉ネギを使うから「ダブルオニオンカレー」なのだ。
海軍式のカレーのレシピがルーツだという日本のカレーは、玉ネギは少し炒める程度であとは肉じゃがのように煮込む。
ここからがまったく違っている。

前回の連載で、「うどんとお好み焼きと鮨(たまに洋食も)は近所のがいちばんうまい」と冒頭に書いて、「たまに洋食も」と括弧入れした理由は、神戸の洋食で「陸に上がった外国航路のコックの洋食店」「オリエンタルホテルの系譜を持つ洋食店」の2系統の洋食が、他所の街のそれに比べあまりにも独特すぎるからである。

とくに今回書いた後者は、輝かしくも長い歴史を受け継ぐものであるとともに、ほかならぬ「神戸」の街の記憶そのものである。
その旧オリエンタルホテルを引き継ぐ「帝武陣」の洋食については次回に詳しく。



※神戸港の開港は慶応3年12月7日で、それは西暦1868年1月1日になる。その理由は、慶応4年9月8日(グレゴリオ暦1868年10月23日)に 明治に改元され、同年1月1日(グレゴリオ暦1868年1月25日)に遡って新元号・明治を適用したため。

※江弘毅さんのスペシャルな記事『いい店にめぐり逢うために知っておきたいこと』はこちら

帝武陣 (テムジン)[閉店]

住所
〒650-0011 兵庫県神戸市中央区下山手通4-13-5
営業時間
11:30~14:00、17:00~21:30
定休日
定休日 日曜

上記は取材時点での情報です。現在は異なる場合があります。

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