明治時代の古地図を元に青山エリアを巡り、予約困難な焼肉店『よろにく』へ【江川達也のグルメ散歩】

【連載】江川達也の散食散歩散話vol.2 ちょっと散歩してお腹をすかせてからの夕ご飯。これが一番おいしくごはんを食べる秘訣だろう。お店にすぐ行くんじゃなくて、お店の近くの隠れた名所を歩いてから食べましょう。知られざる色っぽい地形が沢山ある。知られざる歴史が埋もれている。知られざるお店のおいしいメニューがある。漫画家・江川達也氏が食べて歩いて喋って、日常に埋もれた歴史やグルメを再発見していく。

2016年09月09日
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明治時代の古地図を元に青山エリアを巡り、予約困難な焼肉店『よろにく』へ【江川達也のグルメ散歩】
Summary
1.青学前には車庫があった!? 表参道~青山~西麻布の歴史的名所を巡る
2.いま人気沸騰中の予約困難な焼肉店・南青山『よろにく』
3.『よろにく』オーナーと江川達也が意気投合! クリエイター魂あふれるエピソードの数々

代官山~中目黒の歴史的名所をめぐり恵比寿の『酒彩蕎麦 初代』を訪ねた連載第1回目。第2回となる今回は焼肉を食べに行く。
しかも予約困難な人気店だ。
焼肉をコースで出す。という概念を焼肉業界に流行らせたという人のお店だ。
今や、いろんな店で似たようなサービスが行われているが、最初の人が一番エラい。
クリエイターと言えるだろう。
とオレは思う。他の店はパクリだ。いや、追随した商売人と言おう。

漫画でもやはり最初は先人の模倣から始める。そしてその後、新たにクリエイティビティを発揮して初めての試みに挑戦しそれに成功する。それが、クリエイターだろう。
その後、みんなに真似されながらも、また新たなものに挑戦するのだ。
自分も漫画家としてデビューした時は過去の漫画に影響されながらも新しい表現を模索し作り出して行った。当時は、よくパクられた。いや、オレの漫画に影響を受けた漫画家が沢山現れた。
あとで聞くと、「すごく衝撃を受け自分もこういう漫画が描きたいと思いました」とか漫画家に言われる事もあれば、編集者がオレの漫画をパクるように指示したという証言が山ほど出て来たりもした。

まあ、そういう意味で、今回のお店を始めた代表はクリエイターで、話をしていて自分との共通点が非常に多かった。最後に私のデビュー作の漫画にサインを求められた時は、ちょっと嬉しかった。
そう。新しいことを始めようとする人に自分の漫画が好まれていたのは嬉しい事である。
地形散歩しその後晩ご飯を食べるというライフスタイルを提案するこの連載もまあまあ新しい試みを随所に入れてはいる。

今日の地形散歩は南青山だ。
そして晩ご飯のお店は『よろにく』だ。
とりあえずは予約をしてから記事を読もうw

表参道ヒルズあたりに池が二つ! 明治42年の南青山

さあ、現代の地図(上)と明治42年の地図(下)を並べてみよう。
下は、明治42年の地図を基に私が作った等高線地図だ。
下の地図上の黒い文字はその当時の地図に書かれていた文字で白い文字は今の地図に書かれている文字だ。散歩しながらどこが当時のままでどこが変わったのか確かめるのが楽しい。

表参道駅で降りて表参道の交差点に立つ。
表参道という駅名に私はそもそも疑問を持っている。この駅は表参道入口の駅であって表参道の中の駅ではないのに表参道駅というのはいかがなものか。そう、表参道とは、表参道交差点を入口としてその北西に位置する明治神宮までのお参りする表の道をさすのだ。明治神宮の表の参道が表参道の名前の由来なのである。明治神宮には表参道以外にも北参道(北参道駅)、西参道(参宮橋駅)がある。表参道駅や表参道交差点は港区ではあるが、表参道本体は殆どが渋谷区である。そう表参道ヒルズも渋谷区だ。表参道駅も表参道交差点も名前を表参道入口駅とか表参道入口交差点に名前を変えるべきだと思う。

話が横道にそれた。明治時代の話をしよう。
まず、明治時代には表参道という広い道はない。理由は簡単だ。明治天皇が生きていたからである。
明治天皇が生きている間は、明治神宮などはカゲもカタチもない。
明治天皇が亡くなって、明治時代が終わり、大正時代が始まってから、明治天皇をお祀りする神社として明治神宮が出来たのである。なので明治神宮のお参りに行く参道もあるはずがない。
明治42年の地図を見ると表参道交差点から北西に伸びる細い道があるだけだ。
たぶんこの道南に広げて表参道を作ったのだろう。しかも地図を見ると表参道ヒルズあたりに池が二つある。ここら辺の路地裏を歩いて、池だった頃の地形を探るのも楽しいだろう。

青学の前にあったという、路面電車の車庫跡を辿る

路地裏を南西に向かい南青山五丁目交差点北の路地裏を歩いてみると明治時代の道が沢山残っていることが確認できる。路地から明治42年にも存在していた青山通り(246号線)に出ると青山学院が見える。
青山学院はすでに明治42年にはここに存在していたようだ。

その青山学院の向かいには「あをやま車庫」があったことが地図から読み取れる。
路面電車の終着駅だ。不思議なのは、ここは車庫だけじゃなくて遊園地のような意味不明の無駄な線路が地図に書かれている所だ。オレンジ色の実線が路面電車の線路である。
この地図ではギリギリ入らなかったが、池の周りを一周してるなかなか愉快な線路だ。
この「あをやま車庫」は今、「国際連合大学」の建物や「こどもの城」(2015年2月に閉館したが現存)になって岡本太郎の顔の彫刻が立っている。しかも、その裏に今も池が残っている。

表参道駅から青山通りを通り、南青山五丁目の交差点の丁字路は「骨董通り」との交差点だ。
骨董通りを結講歩いて六本木通りの手前三本目の路地を左に入った所に『よろにく』の焼肉が待っている。地形に興味ない人はそのまま骨董通りを行けばいいだろう。

だが、地形に興味ある人には路地裏の散策を薦めたい。かなり前に家を出て、何時間もこの細かい路地裏を歩き倒して欲しい。焼肉の味もかなり上がるに違いない。

骨董通りにあった谷、池、川の跡地を辿り、西麻布交差点の「こうがい橋」へ

そう、南青山五丁目の交差点の骨董通りは明治42年にはなかった。
だが、青山学院の横の道は存在していた。あえて、明治42年に存在している道ばかりを歩くというのも楽しいものではないだろうか。
そして、谷や池や川のあったところに行き、ここが池だったかどうか確認してみる。
地図の下部分にある池はもはや池でもなんでもない道や宅地になっている。

池の北側を今は首都高と六本木通りが通っているが明治42年にはカゲもカタチもない。
あえて骨董通りに行かず、六本木通りを行かず、明治42年の路地を歩いて西麻布の交差点方向に向かうのも面白い。西麻布の交差点は谷の交差点だ。その1本南の明治42年からある路地(牛坂)を下って行くと下り切ったところに小さな路地との交差点がある。最も高さの低い所に「こうがい川」という名前の川が流れていて、「こうがい橋」という小さな橋がかかっていた。地図の右下のたけかんむりのむつかしい名前の橋は「こうがい橋」と読む。この橋はどうやら鎌倉時代からあったそうでこの橋で身分証明のために刀につけるアクセサリーであった「こうがい」を見せるという規則からこの橋がこうがい橋で川がこうがい川になったとの説がある。

このこうがい川(今は暗渠(あんきょ)で川は見えない)に沿って北に路地を歩くのが地形散歩の楽しみだ。
谷の最も低い場所を探しながら歩くのだ。外苑西通り(環状4号線)を歩かずあえて裏道を歩こう。

西麻布の交差点でしか六本木通りは渡れないのでそこは外苑西通りに沿って横断歩道を歩く事になるがそこを渡ったらまたこうがい川に沿って歩く事をおススメする。

根津邸にあった池が今も残る根津美術館

西麻布の交差点から北のこうがい川は一方通行の道路になっている。そして明治の地図で描かれているこうがい川に沿って走る道も逆方向の一方通行になっている。そしてその二つの道に微妙な段差があって地形的に面白い。ここは、現在、表参道交差点から根津美術館の横を通り西麻布交差点に抜ける裏道としてタクシー運転手によく利用される有名な裏道だ。

明治42年の地図に書かれている根津邸は、今は根津美術館になっている。
そして根津邸の南の池は今も根津美術館の庭園の池として残っているのである。
ここの庭園は当時の地形を偲ぶのに非常におススメの場所だ。昔は無料だったが今は入場料を払わないといけない。

青山墓地と常陸丸、畝傍艦

地形散歩者は根津美術館の庭は後回しにして、あえて根津美術館方向には行かず、こうがい川本流の作った谷の細い道を北へ向かうべきではある。

左側に崖を見つつ前方上空には大きな陸橋が架かっている。根津美術館の丘と青山墓地の丘に架かった巨大な陸橋だ。青山墓地は明治42年の地図にもしっかりと存在している。
常陸丸は日露戦争時にロシアのウラジオ艦隊に沈められた輸送船で、畝傍艦(うねびかん)は、フランス製の軍艦を日本に持ち帰る時に消息を絶った日本海軍の軍艦だが、地図に載っているところから、当時の日本人にとって相当有名な事件であったことが推測される。

巨大な陸橋の下をくぐってから左に曲がってこうがい川の支流の谷の道(多分昔は川だった)を行くもよし、真っすぐ歩き江戸時代からある丘を登る道を行くも良しだが、おススメはやはり江戸時代からの丘をぐるっと回りながら登る小道だ。江戸時代の切り絵図にもこの道は描いてある。

江戸時代から存在する道だと思うとちょっと嬉しい。ここも知る人ぞ知る裏道なのでクルマには注意した方がよい。谷と高台の高低差を実感したい人は谷と丘の両方を歩いて楽しめるのがここら辺の地形だ。かなりの高低差があるが、家で隠れてわからない。わからないながらも家の間から垣間見える崖や一箇所だけある急な階段で高低差が何となくわかる。この谷がどこまで続いているかは、地図の上の善光寺方向に通っている道を歩いて確認出来る。

明治42年の地図でも描かれている途中で二回折れている道は現在も存在する。二回折れている手前で道は下り坂で青山の大通りの手前で上り坂になっているところから、この谷の最終地点がほんのりと見えて来る。(いやあ。ここら辺になるとかなりマニア過ぎる楽しみだろうか)地形好きは谷の最終地点にこだわるのだ。いや、オレだけかもしれないw

青山の大通りを渡った先には今でも善光寺の分院が存在する。青南小学校も現在する。
表参道から真っ直ぐ根津美術館に伸びる現在ある道路は明治42年には存在しない。

谷や丘。明治にあった道やなかった道を確認しながらふらふらと『よろにく』に向かおう。
『よろにく』は骨董通りからちょっと入った所にある。
あ、その前に骨董通り沿いの『伊勢半』にも立ち寄りたいところだ。
ここは江戸時代(1825年)から続く口紅のお店だ。
秘伝の口紅つくりがあるそうだ。

南青山『よろにく』へ

さあ、散々、歩き散らかしたら、絶対はらが減っていつもの二倍以上美味しく感じられる。
『よろにく』があるところは、明治42年の地図では、「諸国公使館」と書いてあった。
高台で谷から上がって来たところの実にいい土地にある。(谷方向には道はないが)

入口は主張しない奥ゆかしい佇まいだ。地下一階に続く階段が実にひっそりして落ち着く。

担当の桑原秀幸さんにいろいろ料理の説明をしてもらいながら、焼いてもらいつつ、『よろにく』の9,000円(税抜)コースを食べた。
担当というから広報担当かと思いきや、実はこの桑原さん、VANNEさんという名で知られる『よろにく』を始めたオーナー社長というか代表の人だったのである。
いやあ、創業者の方に、肉を焼いてもらいながら、インタビューしながら、写真を撮りながら、食す。なんという贅沢な時間なのだろう。

お店の人が横について、焼くという焼肉はこの桑原さんが始めたようだ。
取材で来なくても、お店の人が横で焼いてくれる。
さて、9,000円(税抜)のコースは

1.前菜
キムチの盛り合わせ 三種のナムル

2.冷製盛り合わせ
本日の炙り ぶつ切り 白センマイ

3.鮮菜
本日のサラダ

4.焼き物 塩
ハツ 上タン 中落ち

5.焼き物 たれ
カタサンカク ツチノコ 

6.椀
ハチノスのお吸い物

7.焼き物 希少部位
シャトーブリアン シルクロース

8.焼き物 特撰部位
サーロイン ザブトンのすき焼き(+トリュフ1900円)

9.麵物
阿波の手延べ素麵

10.甘味
本日のデザート

だ。

普通の焼肉とは違う。
キムチやナムルが前菜だ。

冷製盛り合わせでかなり感動する。

さあサラダの次に焼肉だ。

普通の焼肉はお客さんが勝手に好きなように焼く。
しかし、ここの焼肉は違うのだ。

桑原代表は昔、南青山5丁目近くの骨董通り沿いで知る人ぞ知るお店を経営しDJをしていたアーティスト。で、そのお店が成功し、うまいものを食べ歩きしている中、今までになかった焼肉屋を作りたいと思い始めたそうだ。クリエイターの発想でお客さんに感動を与えるのは音楽も食も同じような印象だ。漫画にも通じる物がある。発想はリミックス。音楽の世界を食の世界に置き換えて、頭に閃くいろんなアイディアを試行錯誤の末にカタチにしていったように話を聞いて感じた。

『焼肉ジャンボ』のたれに感動し、何度も足を運んでそのタレの提供を許されたり、和食の要素を取り入れたり、高級ホテルのイメージの店内デザインにしたり、それまでなかった焼肉の店を創造していったようだ。それまでになかったものを新しく作るというのがクリエイター魂だろう。
遊び心が原動力だろうと思う。

だからこの『よろにく』のコースの一品一品は桑原代表の編み出した作品なのである。
漫画で言うと、1話1話の話だろう。

だから、コマ割りや構図は作者がきちんと描くように焼くタイミングや焼き方、調味料も一番おいしいと試行錯誤した結果に編み出されたカタチで食べさせたいのだろう。読む速度や感じ方は読み手の自由だが、「これはこうして食べるのが一番いい」というのは作り手に任せて欲しいのだ。すごくよくわかる。桑原代表の編み出した作品を五感で味わって欲しいと思った。

桑原代表は、火力調整にかなりこだわっているとも聞いた。一つ一つの食材に対して火力を変えて焼いていると。
こうなると自分で焼いてもっとおいしく焼く自信はなくなる。

「どうぞよろしくお願いします。できれば、その肉にあった焼き方を教えて下さい。『よろにく』お願いします」という感じだ。『よろにく』の由来は、一時期流行った「よろしく」と言う時に「よろにく」という挨拶から来ているそうだ。それぞれの肉によろしいアレンジを加えるのが『よろにく』のスタイルだろう。適宜。まさに最適な宜しい創作料理だ。

予約が困難だが、二ヵ月周期で味わうと丁度いいのかもしれない。

桑原代表は熊本出身だ。
熊本は、実は、一時期東京より早くファッション界をリードしていた時期があったそうだ。
そういう熊本で若い頃を過ごし、南青山で夜遊びの黎明期にサブカルチャーを発信する店を経営し、そして、新しい焼肉の創作料理を編み出した。今、桑原代表が始めた焼肉のコースを真似た店がどんどん出来て繁盛している。これからもいろんな新しいことをやりたいと言っていた。これからどんなことをまた始めるのか楽しみだ。

桑原代表はよく根津美術館の庭を散歩したと言っていた。
散歩するといいアイディアが浮かぶきっかけになる、と自分は思っている。
桑原代表は和食とか他のジャンルの料理を味わうことがヒントになると言っていた。
「新しい道を散歩して新しい感触の料理を食べて何か新しいものが浮かびそれをカタチにする」
というのはとても楽しい行為じゃないだろうか。

最後は2人の写真で。

<メニュー>
9,000円コース 9,000円
※価格は税抜

よろにく

住所
〒107-0062 東京都港区南青山6-6-22 ルナロッサ南青山B1
電話番号
03-3498-4629
営業時間
月~金 18:00~24:00(L.O.23:00) 土 17:00~24:00(L.O.23:00) 日・祝日 17:00~23:00(L.O.22:00)
定休日
定休日 無
ぐるなび
https://r.gnavi.co.jp/a388101/

上記は取材時点での情報です。現在は異なる場合があります。

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