#007密林は渓谷の外に、等々力
世田谷は、東京の郊外である。江戸、明治、大正を通して、世田谷は武蔵国の地方群に属していた。
地理的に東京区部の一部になったのは、昭和の世界恐慌以降に荏原郡や北多摩郡から編入され、旧東京市に組み込まれてからである。その後、1990年代までは、東京特別区内で最大の面積を誇っていたが、無限に埋立てを繰り返し、羽田空港用地を増大させた大田区にその座を奪われる。
武蔵野台地の南部にあり、多摩川の段丘上に位置することから地形の起伏が多く、斜面の連なりが続く世田谷。
世に言う国分寺崖線の最南端には、都区内唯一の渓谷、等々力渓谷が鬱蒼とした樹林を従え、幽邃な景観を見せる。
夜間、等々力から尾山台、奥沢辺りを歩くと、視界を奪う高層建築がないことに気付くだろう。光の帯のように連なる高層マンションの灯りは、そのまま目黒通りや環八の存在を示している。
近隣の自由ヶ丘がスイーツの街として売り出したが、本来、その総本山は等々力『オーボンヴュータン』のフランス古典菓子にある。近年は線路脇にパルフェの魔術師アサコイワヤナギのパティスリー『PÂTISSERIE ASAKO IWAYANAGI』も開店した。
だが、夜中にはハクビシンが電線を走り、最近ではアナグマの目撃例さえある緑なす住宅地には未だ人口に膾炙しない、個性的で魅惑的な店たちがあちこちに点在している。
もちろん今回紹介する3軒も知られざる至宝だ。
等々力渓谷から平地に上がり、等々力の駅を反対側に抜けると、尾山台、奥沢へ通じる道路に出る。その道が東急東横線にぶつかる辺りで右折すれば、そのまま田園調布へと繋がる。
当時、英国で提唱された田園都市構想をモデルに、渋沢栄一が作り上げた仮想都市だ。
駅前広場を中心に放射状に延びる街路は、空路から見れば、実はパリの街並そのもので驚嘆する。
そんな田園都市に繋がっていく道路沿いに、夏は密林の如く根を張った蔦に包まれた小さな一軒家がある。
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