「親子丼」発祥の店に行列がとまらない! 老舗『鳥料理 玉ひで』が伝承してきた味づくりの秘密【人形町】

【連載】老舗の当主が明かす「老舗が愛され続ける、隠れざるヒミツ」。老舗を守り続ける当主にインタビューを敢行し、「老舗の逸品」「老舗のおもてなし」にスポットを当てる。
♯3『鳥料理 玉ひで』

2018年04月04日
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「親子丼」発祥の店に行列がとまらない! 老舗『鳥料理 玉ひで』が伝承してきた味づくりの秘密【人形町】
Summary
1.江戸中期、武士が副業で始めた出張料理店から発展し、高級路線を歩む
2.名物の親子丼を、さらなる看板商品に育て上げる
3.現代に蘇った「東京しゃも」で、専門性を高めた店づくりを実践

江戸中期創業。250年以上続く老舗の味を守り続ける8代目

『鳥料理 玉ひで』の創業は、1760(宝暦10)年。軍鶏(しゃも)料理の専門店として、江戸時代から愛されている軍鶏鍋の味を現代に伝える貴重な一軒である。また、同店が発祥といわれる親子丼を目当てにランチタイムは連日行列が絶えず、平日でも昼だけで200人が訪れる繁盛店だ。

『玉ひで』8代目当主として、新たな挑戦を続ける山田耕之亮さんに、250年以上続く店の歴史や、代々受け継がれてきた味づくりについてうかがった。

――玉ひでの創業は、江戸中期。東京の老舗の中でも、とくに歴史のあるお店ですね。

山田:「もともとは将軍家の『御鷹匠(おたかのじょう)』と呼ばれる職に就いていた初代の鐵右衞門が、幕府の財政難に伴い、生計を立てるために副業として始めたと聞いております。『御鷹匠』とは、鷹狩りのあとに将軍の目前で鶴をさばく役目であり、将軍の前で刀をふるうことができる職として、厚い信頼を得ていたそうです」

山田:「店の歴史については、つい最近になってわかってきた部分も多くあります。例えば、初代とされている鐵右衞門は赤ちゃんの頃に当主となっているのですが、江戸の歴史に詳しい甲冑屋さんの話によると、1760年というのは徳川の財政がかなり傾いていた頃で、武士が生活のために身の回りの物を売り払ったために、当時の骨とう品がかなり市場に出回っているそうなんですね。武士が他の商売を始めることも珍しくない時代でしたが、その当時、武家が商売をやるというのは恥ずかしいことでしたから、自分は武家としてありつつ、生まれたばかりの息子を初代にした、というのが真実のようです」

山田:「当時は屋号がなく、店舗をもちながら出張料理店としても大名などかなり高貴な身分の御屋敷へ出向くことが多かったようです。その後、3代目の時に『御鷹匠』の職を返上し、軍鶏鍋の専門店として営業していくことになり、現在は私が8代目として『玉ひで』の暖簾を守っています」

山田:「私は長男で、妹が二人おります。物心がつく前から後継ぎと決まっていたので、店を継ぐものと考えて生きてきました。私が子供の頃は、調理場の人間はほとんどが中学を卒業して入ってきましたから、私も中学2年生の頃に、父からそろそろ店を手伝うようにと言われました。でも、いずれは店を継ぐのだから、大学までは好きなことをやらせてほしいと頼み、大学に進学。卒業後、日本料理店『濱田家』で1年働いたのち、店に入りました。父が他界し、8代目に就任したのは37歳のときです」

▲山田耕之亮さん プロフィール
1961年東京生まれ。法政大学社会学科を卒業後、日本料理店『玄冶店 濱田家』での修業を経て、『鳥料理 玉ひで』に入社。1998年、8代目を継承する。老舗の味と技を守りながら、『たまひで いちの』(東京・スカイツリー)や『とり五鐵』(愛知・名古屋)などの系列店を展開。鶏の熟成にも取り組むなど、老舗の経営に新風を吹き込んでいる。

武士に愛されていた軍鶏鍋。砂糖を使わない割下は高級店の証

――軍鶏鍋は、江戸時代から続く『玉ひで』の看板商品ですね。どのような味づくりをされているのでしょうか。

山田:「江戸時代、軍鶏は闘鶏用に飼われており、闘う鶏として武家に好まれていたそうです。江戸で流行っていた軍鶏鍋を、いち早く商売として始めたのが当店だと聞いています。1852(嘉永5)年、3代目鐡之助の頃に収録された江戸の名物店番付に鳥料理店5店の一つとして収録されたのをはじめ、いつの時代も人気店として歴史に名を残してきました。現在の店名は、1897(明治30)年に5代目に就任した秀吉の代の頃、『玉鐵の秀さん』とお客様に親しまれていた愛称から名づけられたものです」

▲鳥すきコースの「上撰 芳町」9,800円。鶏の珍味など名代料理4品に、親子丼が付く。


山田:「軍鶏鍋の店はほかにもありますが、醬油とみりんだけで作る割下を使うのはほかにはありません。江戸時代は、醬油もみりんも日持ちのしない贅沢品でしたので、保存のきく味噌や砂糖が主流でした。そうしたことからも、『玉ひで』は相当な高級店であったことがわかります」

山田:「玉ひでの軍鶏鍋は、江戸時代より浅い鍋で煮るのが特徴で、日本のすき焼きの元祖とも言われています。軍鶏鍋の具は、軍鶏の皮、モモ、ムネ、手羽、つくねと、ネギ、舞茸、豆腐、白滝。鶏のだしで野菜を食べる地方の鍋とは異なり、肉を主体に愉しむ贅沢な鍋となっています」

すき焼きの〆から誕生した名物の親子丼は、かつては出前限定だった

――玉ひでといえば、やはり親子丼の存在も欠かせません。どのような経緯で現在のような名物料理になったのでしょうか。

山田:「そもそも親子丼は、すき焼きの〆として生まれた料理です。あるお客様が、残った割り下を卵でとじて、お玉でご飯にのせて食べていたのを見て、5代目の妻とくが、食べやすいようにご飯にのせた『親子丼』を考案したのが1891(明治24)年。ただし当時は、丼物は料亭の料理ではないと軽んじて見られていたため、長らく出前のみに限定してお出ししており、店で提供するようになったのは1981(昭和56)年のことです」

▲ランチ限定の「元祖親子丼」1,500円。



山田:「私の代になり、ランチタイムは親子丼に特化したこともあって、今では玉ひで=親子丼発祥の店、というイメージを持たれているお客様も多いと思いますが、実は玉ひでの歴史の中では、まだ半分なんですよ(笑)。しかも、親子丼の発祥が玉ひでだとわかったのは昭和50年代のことで、それまでは当家の誰も認識していなかったんです」

――ネギや三つ葉など、香りの強い野菜が入らないのも特徴ですが、今では親子丼だけで種類がたくさんありますね。

山田:「親子丼は、玉ひでのほか、ソラマチや名古屋などの系列店でも食べることができますが、各店舗それぞれ、私がイメージする客層によって味付けやメニューを変えており、全部で15種類ほどあるでしょうか。玉ひでのメイン客層は、子供がいるくらいの年代の女性。スカイツリー店は、20代半ばくらいのカップルや家族連れに楽しんでもらえるようなメニュー構成を考えました。一方、名古屋は食文化が特殊なので、ちょっとインパクトのある内容になっています」

山田:「また、玉ひでにいらっしゃるお客様は、夜でもほぼ全員が〆の親子丼が目当てでいらっしゃいます。ですから、親子丼を食べるためにお腹を残しておきたいと、ほかのお料理やお酒をセーブしてしまう傾向が見られました。そこで、現在は〆の親子丼をおいしく食べられるように、すき焼きの量や一品料理の内容を考えるなど、夜の料理の内容も私の代になってからは頻繁に変えています」

山田:「今は、残念ながら『親子丼がメインのすき焼き屋』になってしまっているので、近いうちにそれを変えていきたい。まずはランチタイムでもすき焼きのコースを食べられるようにしたい。今は、どんなふうにすれば最も安全性高く提供できるか、提供方法を考えているところです」

消えた軍鶏を求めて、東京都と新品種「東京しゃも」を開発

――現在、使用している「東京しゃも」は、先代が開発にかかわって完成されたそうですね。

山田:「玉ひでの技術は一子相伝ですが、店づくりに関しては当主によってやり方が異なり、高級な鶏料理専門店という基軸は守りつつも、鶏肉の切り売りをしたり、お昼に鶏幕の内弁当を販売したりと、時代に合わせていろいろなことをやってきました。そうした中でも特に辛かったのが、戦後、軍鶏を使えない時期が長く続いたことです。東京などの自治体で闘鶏が禁止されたのをきっかけに軍鶏の生産量が激減し、昭和40年代には生産者がほぼいなくなってしまった。『玉ひで』は昭和33(1958)年に現在の場所に店舗を建て替えていますが、その時には『しゃも鍋』から『鳥寿き(き、は七三つ)』へと看板を変えていたころからも、軍鶏を使えなかったことがわかります。そこで、昭和40年代から、父が東京都の畜産試験場と一緒に10年ほどかけて開発に取り組み、昭和55年(1980年)に誕生したのが、現在使用している『東京しゃも』です」

山田:「『東京しゃも』は戻し交配で誕生した品種で、軍鶏の血を75%引き継いでおり、脂が少なく、濃厚な旨味と歯ごたえを楽しめる軍鶏の特長を見事に引き継いでいます。ブロイラーの約3倍の120日以上をかけて飼育されるため年間生産頭数は2万頭ほどですが、その約半数を当店で使用しています。軍鶏とブロイラーを比べると、軍鶏は煮て旨い鶏、ブロイラーは焼いて旨い鶏、というのが私の見解。ですから、すき焼きには軍鶏が最も適していると思っています」

▲軍鶏鍋は、仲居さんが慣れた手付きで仕上げ、取り分けてくれる。



――「東京しゃも」が完成してから、味づくりやメニューなどに変化はありましたか?

山田:「すき焼きの割下や一品料理などは、『東京しゃも』の味に合わせて変えていますが、お客様にとっての大きな変化といえば、親子丼の値段を上げて高級化したことでしょうか。父は、『今の時代、高級な軍鶏を大衆的な親子丼にしても理解されない』と考え、『東京しゃも』を親子丼に使うことはせず、600円で提供していました。しかし、利益は出ずむしろ赤字になるほどで、スタッフの接客もおざなりになってしまっていました。そこで、父の3回忌を終えたのを機に200円値上げし、サービスも改善。その後、『東京しゃも』を使った『極上親子丼』(1,500円)を加えるなどして、8年かけて親子丼を高級化していきました。当初の2.5倍の価格ですから、もう値上げの範疇を超えて別物ですよね(笑)。結果的には、以前にも増してお客様に並んでいただけるようになりましたが、これはものすごい勇気がいる決断でした。もし行列ができなくなったら、200年以上続いたこの店はどうなってしまうだろうかと本気で悩みましたし、本当に怖かったです」

▲軍鶏鍋では、軍鶏のいろいろな部位を味わえる。

改革の目的は、日本の鶏に対する価値観を変えること

――そこまでして値上げを決行したのには、どんな思いだったのでしょうか。

山田:「ひとつには、親子丼という料理が、軍鶏のおいしさを最もよく味わうのに最適な料理であったこと。『玉ひで』が受け継いできたのは、軍鶏料理であって、現在のブロイラーを使った鶏料理とは異なる料理だと考えています。軍鶏というのは先ほども申し上げたように、焼くよりも煮て食べるのに向いていて、その真価が最もよく発揮されるのが茶わん蒸し。ですが、茶わん蒸しでは使用する鶏の量はたかが知れています。鍋にすればたくさんの鶏を食べられますが、水蒸気とともに鶏の香りも逃げてしまう。そこで、茶わん蒸しの次に適した料理と言うのが親子丼なのです。『玉ひで』の1,500円の親子丼がお客様に認められれば、他の飲食店でも親子丼をやってみようという店が出てくるはず。そうした時に、焼き鳥やから揚げ用の鶏ではなくて、親子丼用に、煮ることによっておいしくなる鶏を仕入れる、という流れができれば、鶏業界全体の底上げになるのではないか。その思いがあったから、親子丼の値上げに踏み切れました」

――さまざまな変革の最終的な目的には、鶏業界や飲食業界全体の底上げをしたいという思いがあるのですね。

山田:「実は、私は幼少時より鶏肉が苦手で、今でもあまり得意ではありません(笑)。ですが、『東京しゃも』が完成して試食をしたときに、この鶏なら食べられる、と感じたんです。私が食べられる鶏料理なら、鶏が苦手な人もおいしいと食べてくれるのではないか。それは、鶏が好きな人にとっては最良の料理ではないかもしれませんが、私は鶏が苦手な人が美味しいといって食べてくれる、その価値観のほうが大きいと思い、日本の養鶏や鶏料理の技術向上に貢献したいという思いで、いろいろチャレンジしてきました。もし鶏が本当に好きだったら、今のようにはなっていなかったかもしれません」

山田:「そしてもう一つ、私の代になってから挑戦していることが、鶏の熟成です。私自身も、鶏は鮮度が命だと聞いていましたが、から揚げの専門店を立ち上げるにあたって肉の漬け込み液を開発している最中に、日にちを置くほうが美味しくなることに気づきました。酵素を入れることで鶏の熟成が進み、信じられないほど柔らかく、風味も増してくるのです。この熟成肉が出来上がってから一品料理のラインアップを全て変え、現在はそこからさらに進化して、玉ひでのすき焼きに合うように調整をしています。昔は肉をさばいてすぐに出せたものが、それをさらに寝かせるわけですから、手間は1.5倍かかりますが、そうした味わい方があることも伝えていきたいですね」

――今後は、さらにどんなことに挑戦していきたいとお考えですか

山田:「ひと言で言うと『日本の鶏をよくしたい』ですね。戦後の日本人は、鶏肉=ブロイラーで育ってきていますから、軍鶏の本当のおいしさを知っている日本人は少ないですし、鶏肉は安い、というイメージが根強く持たれてしまっています。ですから、10~20代の人たちにこそ、本来の軍鶏のおいしさを知ってもらいたい。そして、彼らが40歳になる頃に、自分のお金で『玉ひで』を選んでもらえるようになるのが理想です」

山田:「一方で、日本の飲食業界では、牛肉でお金をいただくような文化がありますよね。安いコースだとメインが鶏肉で、高いコースだと牛肉というような。それに、客単価2万円を超えるようなフレンチや和食でも、ブロイラーを使うことも少なくありません。そうした現代にあって、鶏料理だけのコースで1万円以上いただくというのは、大変なことです。でも、それができると証明していくのが『玉ひで』の役割であると思いますし、業界を超えて料理人の価値観も変えていきたいと思っています」

山田:「こうしたことをやるのには、時間がかかるのは仕方がないと思っています。すぐ結果を求めると、これまでやってきたことが水の泡になってしまう。時間をかけて、いい連鎖を次の世代につなげていきたいと考えています」

【メニュー】
<昼>
元祖親子丼 1,500円
”三昧”親子丼 1,900円
元祖 親子昼膳 3,300円
<夜>
鳥すきコース 7,800円~
水炊きコース 7,800円
熟成鶏料理コース 6,800円~
親子夕膳 4,800円
※価格は税抜。昼の親子丼以外は、サービス料10%

鳥料理 玉ひで

住所
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町1-17-10
電話番号
050-3490-5298
営業時間
火~日・祝前日・祝日 昼の部:11:30~14:30(親子丼:11:30~13:30 ※13:30までにご来店のお客様で終了 コース:11:45~14:30(L.O13:30) ※並ばずにお入りください) 火~日・祝前日・祝日 夜の部:17:30~22:00(L.O.21:00)(休日は昼のみの営業となる場合もございます)
定休日
毎週月曜日 ※戌の日等、月曜日営業、火曜日休業もございますので詳細は店舗へ直接お問い合わせ下さい。
ぐるなび
https://r.gnavi.co.jp/g316700/

※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。