【日本橋】老舗の「うなぎ」はここが違う!200年以上続くうなぎの老舗『大江戸』のすごいこだわり

【連載】老舗の当主が明かす「老舗が愛され続ける、隠れざるヒミツ」。老舗を守り続ける当主にインタビューを敢行し、「老舗の逸品」「老舗のおもてなし」にスポットを当てる。
♯6『うなぎ割烹 大江戸』

2018年07月14日
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【日本橋】老舗の「うなぎ」はここが違う!200年以上続くうなぎの老舗『大江戸』のすごいこだわり
Summary
1.寛政12年(1800年)創業。江戸時代からうなぎは高級料理だった!
2.きちんとした和食とうなぎで、ビジネスマンご用達に
3.名物「いかだ」や「うな丼」など、時代に合わせてメニューを進化

江戸のグルメブックにも名を残す初代「草加屋吉兵衛」が創業

古くは縄文時代から、日本人が食してきたといううなぎ。現在のように、うなぎを開いて、タレをかけて食べるようになったのは、醬油やみりんの歴史とも関わりが深く、18世紀頃からと言われている。

『うなぎ割烹 大江戸』は、寛政12年(1800年)創業。初代・草加屋吉兵衛が店を構えて以来、200年以上の歴史をもつ老舗だ。そんな同店の歴史や味づくりについて10代目の湧井浩之さんにお話を伺った。

――創業は、江戸・寛永年間の1800年。東京の老舗の中でも、かなり歴史のあるお店です。

湧井:「初代の草加屋吉兵衛は、浅草の蔵前で創業しました。うなぎ屋というのは、うなぎを船で運搬し、それを水の中で生かしておくために、昔から川べりにあるんですね。蔵前というのは、読んで字のごとく蔵がたくさんあった街で、何の蔵かというと、お米の蔵。当時の武士の給料はお米で支払われていましたから、いまでいう銀行のようなものです。そうした江戸の金融街であったというのが、蔵前で創業した理由だと聞いています」

湧井:「その後、1800年の中頃には田原町に移転し、しばらく商売させていただきました。支店もあったようですが、戦争のときに取り壊しにあったそうです。戦後間もない頃から現在の場所で小さく商売をはじめ、父の代に現在の店舗になりました」

――湧井さんは、後を継ぐことに関してどう考えていましたか?

湧井:「幼い頃から、必然的に後を継ぐと考えていて、小学校の卒業文集には、『将来はお店を継ぐ』と書いていました。特にほかの道は考えなかったですね。学生時代は、忙しい時だけ、下足番とか、洗い場とかを手伝うことはありました。大学を卒業して、お店を継ぐなら外に出るのが条件だと言われて、うなぎ屋さんではなく京都の料理屋さんに修業に行きました。そこで2年間お世話になり、戻ってきてからはうなぎをさばくところからはじめました」

――お店の歴史について、代々伝え継がれてきたことはありますか?

湧井:「震災や戦争もあり、昔の写真はあまり残っていませんが、後から買い集めた浮世絵には、昔の様子がたくさん描かれています。また、江戸時代のグルメガイドのような書物にも、『御蒲焼、草加屋吉兵衛』という店名で載っています。江戸の街にはうなぎ店が100軒くらいあったようで、とても人気のある食べ物だったようです。店名は、のちに『大江戸』という名前になりましたが、初代の『草加屋吉兵衛』という名前を、代々の当主が襲名しています。私で一応10代目ということになりますが、まだ父も元気なので、正式にはまだ襲名はしていませんがね。それから建物は、現代の名工にも選ばれた数寄屋建築の棟梁(とうりょう)が手がけたもの。天井は船に見立てた船底天井になっていたり、古い建築技術が随所に見られます」

▲湧井浩之さん プロフィール
1969年東京・日本橋生まれ。姉と妹がいる。3歳まではお店の上を住まいとし、その後中央区立常盤小学校から慶應義塾中等部に進学し、高校、大学と進学。大学卒業後、京都の料亭で2年修業。その後、実家の厨房に入り、うなぎの技術を磨く。

――うなぎは、寿司やそばなどと並んで江戸時代に発展してきたと言われています。

湧井:「当時からうなぎは高価で、江戸時代にはそばの10倍とも言われていました。昔は養殖の技術もないですから、すべて天然もの。祖母もよく『1日10人お客様が来れば、蔵が建つ』と申しておりましたが、それくらいうなぎは高価でした。また昔は、うなぎ屋と言えばお座敷だけの商売で、うちでも仕出しの料理と、うなぎの蒲焼をお出しする、というのが通常でした。それが、だんだん自分の店で料理を作るようになり、当店でもきちんとした料理とうなぎを両方楽しめる店として認知されるようになりました。さらに、もっとうなぎを気軽に召し上がっていただけるようにと、父がテーブル席を作ったのも大きな転機となりました。今では、テーブル席のほうがメインになってきていますね」

――時代の変化によって、お客の利用の仕方にも変化がありましたか?

湧井:「当店があるこの辺りはビジネス街ですから、昔も今も月曜から金曜までは昼夜ともにご接待のお客様が中心です。土曜日になるとご家族連れが多く、3世代でお見えになる方も結構いらっしゃいます。少し前までは、40代~50代の男性のお客様ばかりでしたが、今は若い人や女性、カップル、外国人のお客様も増えました。昔は入口に値段なども掲示していなかったので、入りにくいお店だね、と言われたこともありましたが、今はインターネットで情報が公開されているので、だんだんと裾野が広がっていったのだと思います」

名物「いかだ」が大ヒット! 手ごろな丼メニューも人気

――メニューは「うな重」や「うな丼」、コースや一品料理など品数が多いですね。

湧井:「うなぎ屋さんのなかでは、当店のメニューは多いほうだと思います。うなぎは色々なサイズを用意しておいて、メニューに応じて使い分けているのですが、土曜日限定でお出ししている『いかだ』は、“めそっこ”と呼ばれる細いサイズのうなぎを2本並べたものです。天然ものしかなかった時代は、どうしても個体にばらつきがありますから、小さい“めそっこ”に串を打って焼き、お重に並べていました。その姿が“いかだ”に似ていることからそう呼ばれるようになりました。『いかだ』を土曜日限定の名物メニューとしてお出しするようになったのは父の代からですが、それは週休2日制になって、土曜日の営業が弱くなってからのこと。今では、『いかだ』を目的にお客様がいらっしゃるようになりましたね」

湧井:「それから『うな丼』も5~6年前に父が開発したメニューです。その頃からうなぎの高騰が問題になってきていたので、サービス価格でお出しできる丼を考えました。丼は有田焼で、屋号を入れて作ってもらった特注品。父はそういうところのこだわりも強いですね。『いかだ丼』に使う丼は、お客様に『重くて持ちあげられないよ』と言われて、スプーンを添えるようになりました。でも、見栄えがよいので、喜んでいただいています。この丼だけでなく、うちは重箱も他のうなぎ屋さんよりも大きめです。一般的には重箱が大きいと、うなぎからご飯がはみ出して見えるので普通はあまり使わないのですが、うちでは逆に小さな重箱に変えた時はお客様に不評でしたね」

肉厚な鰻を、上品な甘みのタレで焼き上げる江戸前の味

――焼き方やタレなど、味づくりについてのこだわりを教えてください。

湧井:「関西ではうなぎを腹開きにするのが一般的ですが、当店ではうなぎは関東流の背開きで、蒸してからタレを塗りながら焼き上げます。昔から炭で焼くのもこだわりで、うなぎは炭で焼くのが一番おいしいと思います。炭の効用はいくつかあって、例えば、遠赤外線効果によって、身の表面はパリッと、中はジューシーになります。また中まで火が入りやすいので、中心温度が高くなり、骨が残りにくくなるという効果もあります。また、焼いている時に、炭にタレが落ちて煙が上がり、その燻煙効果で芳ばしい香りがつきます。重箱を空けたとき、得も言われぬいい香りがするのは、炭火で焼いた証拠です」

湧井:「タレは、甘すぎず辛すぎず、その中間くらい。お客様には食べやすいと言っていただけます。江戸前のうなぎ屋さんでは砂糖を使わない店もありますが、うちは砂糖を使いますから、その甘みがまた食べたくなるそうです。タレについては継ぎ足しですが、その配合はまったく変えていないわけではありません。醬油やみりんといった原料そのものの味も、ずっと変わっていないということはないでしょうから、自分の舌を信じて、少しずつ進化させています。時代に合わせた小さな変化は、常にやってきました。なかでもタレについては、うなぎ屋さんの顔ですから。どのお店も皆さん大事にされて、自信をもって作っていると思います」

――ご飯のおいしさも格別ですね。

湧井:「お米は、ものすごくこだわっています。よく言うんですけど、うなぎはおいしいのにお米がイマイチでは完成度としては失格です。その意味では、お米はちょっと固めに炊いて、タレをかけたときにちょうどよくなるようにしています。そう、両方おいしいのがベストなんです」

湧井:「今使っているのは、山形の『夢ごこち』というお米。すごくもちもちしていて、タレとの相性もすごくいい。ご縁があって生産者さんをご紹介していただき、私も現地に行ったのですが、お米自体のよさはもちろん、生産者さんの姿勢にもすごく共感できるものがありました。お客様にも生産者さんのことを伝えやすいですし、山形は年間を通じて自然災害があまりないところなので、品質が安定しているのも気に入っている理由です。昔は、お米屋さんに任せてその時々のいいお米を仕入れていたので、炊くのが難しくてね。水加減が毎回変わるので失敗することもあって、何か改善策がないかと思っていたところに、たまたまご縁をいただきました。『夢ごこち』に変えてからは、我々の仕事もやりやすいし、ご飯としての品質が安定しました」

――うなぎそのものについても、時代によって変わってきましたか?

湧井:「現在は、宮崎、鹿児島から仕入れることが多く、静岡などからも購入しています。うなぎは生きたまま仕入れているので、なかなか一つの産地、生産者さんに決められないところがあって、その時流通しているもので、なるべくいいものを入手するようにしています。仕入れたうなぎは丸い桶に入れて重ねて置き、上から水を循環させて生かしておきます。この設備を『立て場』といいますが、当店は問屋さん並みに大きくしっかりした『立て場』を持っているので、ある程度量を保管できます。そこで、その日使う分よりももう少し長いスパンで仕入れることができるのが強みになっています」

湧井:「うなぎの仕入れが深刻化したのは、ここ5~6年の話です。うなぎの養殖というのは卵からかえすのではなく、天然の子ども(=稚魚・シラスウナギ)を獲ってきてそれを大きく育てるのですが、その天然の子どもが日本の沿岸で獲れなくなってきています。そして、それがなぜなのかがよくわかっていないんです。シラスウナギは、マリアナ海峡のほうで生まれて、約6,000kmの距離を海流にのって泳いでくるのですが、途中で黒潮にのるのと、南のフィリピンのほうに行くのと2つに分かれるらしく、南のほうに流れてしまうものが結構あるそうです。また、そのまま黒潮にのってきても、日本の沿岸から離れていると獲りにくいようです。乱獲のせいとは一概に言い切れず、学者もわからない部分が多いようです」

――今後の展望や、将来の夢をお聞かせください。

湧井:「お酒に関しては、熱燗と冷酒だけで銘柄も書いていなかったのですが、ここ5年くらいで30種類くらいまで増やしました。ビールも瓶ビールだけでしたので、生ビールを揃えようと考え、今は『アウグスビール』を置いています。次はワインかな、と思っていますが、提供するとなれば当然、こだわったワインとグラスをラインナップしたいですね。そして、先ほども申し上げたように、うちはうなぎ以外のお料理がたくさんありますが、父からは、『うなぎ屋らしく、うなぎを中心にやりなさい』とよく言われます。その格となるうなぎ料理に関しては今後もこだわり続けていきたいと思っています」

【メニュー】
▼うな重・蒲焼
ふみづき 2,600円
ながつき 4,000円
しもづき 4,900円
さつき 2本いかだ(土曜限定)4,400円
きさらぎ 2本いかだ(土曜限定) 5,500円
▼うな丼
小丼 1,900円
中入れ丼 4,200円
いかだ大丼(土曜限定) 4,400円
▼一品料理
うまき 1,800円
うざく 1,600円
うなぎ白焼き 3,500円
▼コース
鶴定食7,500円~
※価格は税抜

うなぎ割烹 大江戸

住所
東京都中央区日本橋本町4-7-10
電話番号
050-5492-1058
(お問合わせの際はぐるなびを見たというとスムーズです。)
営業時間
月~金
11:00~22:00


11:00~21:00
定休日
日曜日
祝日
ぐるなび
https://r.gnavi.co.jp/g144600/

※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。