【寿司好きは知っておくべき名店】大阪を代表する寿司「バッテラ」発祥の店

【連載】正しい店とのつきあい方。  店や街とのつきあい方がわからない人が増えている。初めてなのに常連と同じように扱われないと怒る人や金さえ払えば何でもしてくれると思う人。お客様は神様、などではない。客としてのあり方を街と店に深い考察を持つ江弘毅氏が語る。

2017年05月02日
カテゴリ
コラム
  • 食文化
  • 連載
  • 寿司
  • 大阪
【寿司好きは知っておくべき名店】大阪を代表する寿司「バッテラ」発祥の店
Summary
1.江戸前とは違う、大阪の「箱寿司」がいまグルメに注目されている
2.ポルトガル語のボート=バッテラという名の寿司は関西ではおなじみ
3.バッテラの元祖の店が30年の時を経て4代目の手によって復活して話題になっている

先日dancyu誌3月号でも大きく取りあげられていたが、このところ大阪の「箱寿司」に注目するグルメたちが増えてきた。

大阪で寿司といえば長い間、箱寿司だった。
というより江戸前のにぎり鮨より起源がずっと古いのが上方流の押し寿司だ。

とくに天保12年(1841)創業の船場・淡路町の『吉野鯗』の三代目・寅蔵が、明治になって二寸六分四方、深さ一寸二分の押し型を決定し、それまでの箱寿司のバリエーションを集大成して、小鯛、焼き穴子、海老と玉子焼きのこけらの六切れを「一枚」として規定した。

「二寸六分の懐石」といわれるように、一枚の箱寿司には椎茸の煮物、穴子の焼きもの、向こうづけとしての白身魚、玉子、海老など、さまざまに手間ひまかけて仕事をした料理の粋の集合だといえる。


だから箱寿司は、船場はじめとして大阪ではお持たせ用としてとりわけ重宝されてきた。
上方古典落語のネタである「足上がり」や「道具屋」には、「土産に寿司でも買うて帰ったろかな」といった寿司の折箱の話がよく出てくる。

そして大阪のもうひとつの箱寿司の代表がバッテラである。
バッテラは鯖寿司であるが、棒寿司や姿寿司ではなく、押し型で押し抜いた大阪流の寿司だ。

このバッテラは、明治24年(1891)に南船場の順慶町「井戸の辻」にあった『寿司常』の創業者・中恒吉が初めてつくった大阪寿司である。

当初は大阪湾で大量に獲れたコノシロ(コハダの成魚)を利用してつくった寿司だったが、高価になったため次第に鯖に変わって定着した。

バッテラの語源はポルトガル語の「ボート」であるが、この押し寿司の尻尾がピンと張った姿が、その頃水上警察署がパトロールに使っていた短艇に似ていたので、洒落てそう呼んだという。
何とも水の都、大阪らしい話だ。

昭和54年旭屋出版刊の448ページの大著『すし技術教科書《関西ずし編》』をめくっていたら、「復原コノシロのバッテラ」ということで『寿司常』の中恒次さんがつくった当初のバッテラが再現されているのを見つけた。
コノシロは片身にして開いて布巾じめしていたらしい。

さてその『寿司常』が昨年夏、30年ぶりに復活して話題になっている。
当時、売れに売れたバッテラは、注文に間に合うように木の型で押し抜かれるようになったが、初代が考案したという鯖の形に合わせて尾の部分を細くした押し型は確かにボートを思わせる。

復活させたのは四代目の石川里留さん。
冒頭にご紹介した名門『吉野鯗』で修業を積んだ大阪寿司職人である。

「バッテーラ」(一本900円)とともに、昭和30年代になって和歌山から直送されるようになった活鯵の棒寿司(一本1,000円)も、車海老、鰻、玉子、干瓢、胡瓜、椎茸を巻いた超弩級の大阪伝統の「上巻き」(2,200円)も復活。

江戸前にぎり鮨はネタそのものの勝負であり、もうどこの地方でもミシュランの星がつけられていている時代になったが、東京など地方から大阪に来られる方には、ぜひここでしか食べられない元祖バッテラを経験してほしい。

寿司常

住所
〒530-0041 大阪府大阪市北区天神橋2-4-3
電話番号
06-6351-9886
営業時間
11:00~14:00、17:00~22:00
定休日
水曜

※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。