
室町から戦国期にかけての山城で、白米城、和気山城、舘城とも呼ばれていました。城主は兄の富樫正親と加賀の守護職を争い破れた富樫幸千代です。
のちに一向一揆の旗頭である荒川市介、長山九郎兵衛らが居城し、1575(天正3)年、織田信長軍の武将柴田勝家が一向一揆軍鎮圧にとりかかった際に落城したと伝えられています。
城郭の範囲は東西約600メートル、南北約500メートルの区域と推定されます。主要な郭(くるわ・城の周りのかこい)は頂上部の本丸を中心に七カ所の平坦地があり、環郭式城郭といって、放射状に伸びる尾根筋に郭がつくられています。
郭と郭の間には堀切(水路)を配しており、二の丸からの入り口、二の丸への虎口などには土塁が設けられています。
ここでは400種を越える多くの植物が確認されており、自然豊かな里の山です。
住所 |
〒923-1224 石川県能美市和気町イ140番地 能美市立和気小学校裏 |
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電話番号 | 0761-51-2308 |
交通アクセス | 能美根上スマートICより車で20分 辰口温泉より車で10分 |
HP URL | http://nominosatoyama.com |