「年越しそば」ならココ! 最盛期2万食を売った、明治創業『かんだやぶそば』が100年以上愛される理由

【連載】老舗の当主が明かす「老舗が愛され続ける、隠れざるヒミツ」。老舗を守り続ける当主にインタビューを敢行し、「老舗の逸品」「老舗のおもてなし」にスポットを当てる。
♯1『かんだやぶそば』(そば)

dressing編集部

Summary
1.江戸末期に誕生した、斬新なそば店のビジネスモデルを今なお継承する
2.「変わらぬ味」を提供することが、老舗に期待されること
3.そば店ならではの自由さを大事にしながら、時代のニーズに合わせて変革し続ける

明治13年創業、老舗のそば店『かんだやぶそば』を支える4代目

江戸時代に屋台から発展し、庶民の食べ物として急速に普及したそば。江戸の街だけでもそば屋は数千軒あったと言われ、競合も激しかったようだ。明治13年に創業した『かんだやぶそば』は、幕末に人気を博したそば屋の名残を現代に伝える貴重な一軒。現在は、4代目の堀田康彦さんが、137年続く暖簾を守っている。

昭和19年5月生まれの堀田さんは、姉が2人、弟が1人の4人兄弟。大学卒業後、京都の老舗そば店『晦庵河道屋』で2年間見習いとして修業し、父とともに戦後の『やぶそば』を支えてきた。そんな4代目当主の堀田さんに『かんだやぶそば』が100年以上愛され続ける秘密を聞いた。

当時は、「お風呂に入ってから座敷でそばを食べる」というスタイルだった?!

――『やぶそば』と名乗るそば屋は各地に点々とありますが、そもそも『かんだやぶそば』はどのような形で誕生したのでしょうか?

堀田:「『やぶそば』の暖簾の由来は幕末にさかのぼり、団子坂にあった『蔦屋(つたや)』というそば屋が元祖と伝えられています。『蔦屋』を始めたのは元武士で、その商売のやり方が画期的でした。

当時のそば屋というのは、職人たちが出先でお腹が空いた時にさっと食べるような食べ物ですから、店の造りも簡素でした。それが、『蔦屋』では、立派な庭を通って屋敷に入り、お客は風呂に入ってから座敷でゆったりとそばをいただく、というような斬新なスタイルを打ち出したわけです。価格は一般的なそば店の3倍ほど。『蔦屋』はそば屋を娯楽に変えて人気を博したのです。

ちなみに、『蔦屋』は近くに竹藪があったことから、通称「やぶそば」と呼ばれて、その評判は日本全国に伝わり、各地に『やぶそば』を名乗る店が激増した、ということもあったそうです」

▲『蔦屋』の雰囲気を継承し、『かんだやぶそば』の周囲は板塀で囲まれている。


堀田:「『蔦屋』は繁盛して次々と支店を作っていき、私どもの店『かんだやぶそば』は、初代の堀田七兵衛がその神田連雀町支店を譲り受け、明治13年(1880年)に創業したのがはじまりです。

『蔦屋』は日露戦争の頃に突然潰れてしまい、その後、それぞれの支店は引き継いだ人が続けてこられたり、廃業したりしていますが、その中でも私どもの店は比較的規模が大きく、『蔦屋』の画期的なスタイルをもっともよく継承していると言われています。200坪の土地に板塀を張り巡らせて、庭を通って店の中へ入る、というようなそば屋は、都内でも他にはありませんでしたから」

『かんだやぶそば』のそばはほんのり緑色。そのわけとは?

――そばやつゆの味づくりに関しては、今と昔ではどのような違いがあるのでしょうか?

▲濃いめのつけ汁と、緑がかったそばが『かんだやぶそば』の伝統


堀田:「品物としては、基本的には変えておりません。食べ物ですから嗜好の変化というのは当然あるわけですけれども、100年余り続いてきている老舗に対するお客様の期待というのは、前から親しんでいる味ですから、基本的にずっと同じものを提供できるということが大事だと考えています」

▲冬季限定の「牡蠣そば」


堀田:「ただ、新しいことの取り組みとしては、以前よりも季節感を意識する、ということがあります。「春野菜の天ぷら」や「じゅんさいそば」「牡蠣そば」など、季節ごとに入れ替えております。昔から行なわれていることではありますが、昨今の便利な世の中では、ともすると季節感が損なわれてしまいますから、より強く意識していかなければと考えています」

そば粉10に対して小麦粉1の割合がなめらかで口当たりをよくする!

▲温かいもり汁は、鯖節のみでとっただしを使う


堀田:「そば粉は、北海道をはじめ内地(国内)産が中心です。ただ、輸入のそば粉も近年品質は上がってきており、とくにアメリカ産などは管理農業としてしっかりいいものができて来ているので、必ずしも内地産が最優位ということではありません。

配合も昔から同じ、そば粉10に対して小麦粉1の割合です。純粋で十割がいいという考え方もありますが、小麦粉はつなぎとしてだけでなく、なめらかで口当たりをよくする役割もあります」

▲そば粉10に対して小麦粉1の割合。現在はクロレラ(食用の藻)を少量練り込んでいる


堀田」「それから、そばの色が少し緑がかっている(写真上)のも『かんだやぶそば』の伝統です。昔は製粉技術も保存技術も発達しておりませんでしたから、秋に新そばが出る前、ひねのそばを使う夏場は色があせてしまい、つながりも悪くて仕事が辛かった。そこで、初代の堀田七兵衛が見た目だけでも清涼感を出そうと、そばもやしを作り、その青汁を打ち込んだそうです。そうした創業者の創意工夫を大事にしようということで、現在はクロレラを少量加えております。

一方、つゆに関しては、江戸の街では、そばは職人の男衆の食べ物でしたから、働きながらお腹を満たすということで、当然濃い味になる。ですからもりそばのつゆはかえしに負けないように、昆布と鰹でとった濃厚なだしを使用しています」

▲「そば寿司」は戦前から残るメニューのひとつ

レシピは秘伝ではない! 数値化し文章化して公開する

――時代の荒波を乗り超えて100年続く老舗を作ってこられたわけですが、何が大事だったとお考えですか?

堀田:「ひとつは、技術の継承です。一般に事業というのは人・物・金といいますが、我々のような小規模な飲食業では、「人」が安定的に育ち技術を継承できるかどうかが大切です。基本的にはすべて現場で、人が人に技術を伝えてきました。

私どもの店では、代々レシピを秘伝といわずに、どんどん数値化・文章化して、公開していくという方針です。レシピはあくまで技術の一面であり、最終的に確認するのは人の舌や、仕事に向き合う姿勢ですから、最終的には職人の質、というのが重要なんです。

ちなみに現在は、調理師の資格をもつ社員は12人ほど。段階的にステップを踏んでレベルアップしていくわけですが、今のメンバーはみんな製麺できるレベルです。客数が多いと当然ながら仕事量も多いので、技術を習得する効率もいいと思います」

そば店ならではの自由さと、代々継承されてきた革新的なスタイルが融合している

――挨拶や注文を通すときの独特のかけ声も、受け継がれていますね。

▲客席にも、「せいろ~、1ま~いぃ」と注文を伝える声が響き渡る


堀田:「通し言葉ですね。昔は紙が貴重品でしたから、飲食店では今のように伝票ではなく、言葉で注文を伝えていました。その頃の名残です。

言葉による注文の伝達というのは非常に利点がありましてね。紙だと直接見ている人しか用が足りないけれども、言葉の場合は、どこにいてどんな仕事をしていても、みんながいっせいに聞くことができる。とくに私どもの店は比較的大規模で厨房も大きいですからね。語尾をのばしてゆっくり通さないと作業が追い付かなくなってしまうので、それがお客さんからは調子をつけて歌っているように聞こえるわけです」

▲2014年の建て直しでは、2階にテーブル席を増やし、バリアフリー機能を充実させた


堀田:「我々も代々の店主のやり方にならい、時代に乗り遅れないように変革すべきものは変革してきました。それは単に商品をよくしていくというだけでなく、たとえばお客様のライフスタイルの変化に合わせた店づくりも大切です。

ここは2013年に火災に遭い、建て直しを余儀なくされましたが、2階席を作るにあたって座敷席を大幅に減らし、テーブル席を増やしました。またバリアフリー機能も向上させています。

いずれにしても、『かんだやぶそば』は、そば店ならではの自由さと、『蔦屋』から継承されてきた革新的な店づくりを、これからも大事にしていきたいと思っています」


【メニュー】
せいろうそば 670円
かけそば 670円
天ぷらそば 1,720円
かも南ばん 1,720円
あなご焼き 1,720円
小田巻蒸し 1,240円
※価格は税抜

かんだやぶそば

住所
〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町2-10
電話番号
03-3251-0287
営業時間
11:30~20:00(L.O.)
定休日:水曜
公式サイト
公式ページhttp://www.yabusoba.net/

上記は取材時点での情報です。現在は異なる場合があります。