潮風を受けながら鎌倉から江ノ電で行きたい、湘南で10年の“魚愛”イタリアン

【連載】通わずにいられない逸品  トレンドに流されず、一つのお店を長く観察し、愛しつづける井川直子さんにはその店に通い続ける理由がある。店、人、そして何よりその店ならではの逸品。彼女が通い続けるそのメニューをクローズアップする。

2016年06月13日
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潮風を受けながら鎌倉から江ノ電で行きたい、湘南で10年の“魚愛”イタリアン
Summary
1.魚とシンプルなイタリアンを愛するシェフ
2.腰越から江ノ電でひと駅の江ノ島に3年前に移転
3.メニュー名は同じものでも毎日同じものはない

湘南で十年。

オープンは2006年3月。「腰越」という小さな駅だった。
鎌倉から江ノ電に乗って「由比ケ浜」を超え「長谷」を超え、ほかよりホームも1両分短い駅。
そこは漁師町で、改札を出ると、濃い潮の匂いが風に乗ってくる。海から1分のトラットリア『ロアジ』にもまた、ビーチとは違う、ざらっとした漁港の風が注ぎ込む。
店の前を通り過ぎる江ノ電はあまりにドアップで、イタリア国旗が引っかかるんじゃないかとひやひやしながら、開けっ放しのドアから見えるこの光景が私は好きだった。

オーナーシェフの秋月光広さんは、釣りとサザンを愛する人である。
もともとは東京のホテルで12年、フランス料理のコックとして働きながら、実は東京にもフランス料理にも馴染めなかった。ホテルのフェアでイタリア人シェフと働いた時、シンプルな料理と明るく開放的な人柄に「こっちだ」と思ったのだそうだ。
と同時に、子どもの頃から好きな海の近くで生きることにした。
鎌倉や小坪などのイタリア料理店で働き、独立する頃には湘南中の土地を探して魚の豊かな腰越に決めた。

『ロアジ』の斜め向かいは魚屋で、並んでいる魚介は目の前の漁港から直行。朝は江ノ島や小田原の底地網の朝揚げが届き、午後も漁師の小舟が着く。
店の隣には釣り名人も住んでいて、釣りのアジなどを持ってきてくれる。
当時の秋月さんは魚介を買い置きせず、なくなったら魚屋に走ってピカピカに新鮮な魚をカルパッチョやマリネに仕立てていた。

そんな昔の話をすると、「ああ、まだまだわかってなかったなぁ」と本人はしきりに恥ずかしがっている。今は、こう思うのだそうだ。
「もちろん鮮度のおいしさもあるけれど、それがすべてじゃない」

シンプルなのに深く、深いのに押しつけがましくない

3年前、『ロアジ』は隣駅の「江ノ島」に移転した。お店はすこし広く、12席が18席になったけれど、居心地は相変わらず優しい。
秋月さんの、どこにも力の入っていない声や喋り方や気の遣い方や、そして料理がそうさせるのだと思う。
料理は、この10年でさらにシンプルに削がれていった。

たとえば「あさりとつぶ貝と春キャベツのヴァポーレ」は、メニュー名の材料を少しの水で蒸すだけ。あさりの塩分によっては塩も加えない。

(左)あさりとつぶ貝と春キャベツのヴァポーレ (右)お魚のマリネ

「お魚のマリネ」は桜鱒、石鯛、ヒラマサの腹と背に、EXVオリーブオイルと湘南ゴールド(黄金柑)の皮を散らしただけだ。
でも、くたくたの春キャベツは貝の旨みを吸い込んで染みるように甘く。
マリネの魚は旨みの塊のように濃く、ねっとりしたりコリッとしたりの食感もそれぞれ。

実はマリネの魚でも、種類や部位や個体差によって、彼は「水分を抜く」という仕事をさまざまな方法でしているのだった。
桜鱒は塩とごく少量の砂糖(甘味づけでなく水分を抜くため)をして6時間、石鯛は塩だけをして脱水シートで半日かけて水分を抜く。塩をすると酸化するヒラマサはそのまま脱水シート。
ちなみにローストに使う金目鯛の骨付き半身なら塩をして冷蔵庫内で陰干しにするし、同じ陰干しでも鱈の場合は5日くらいかけて、バッカラに近いイメージにもっていく。
水分を抜く=臭みを取るだけでなく、味を凝縮したり旨みを引き出すための仕事である。

(上)金目鯛のロースト

ここが「鮮度がすべてではない」という所以。
「いやぁ、本当に何にもしない方向に行ってるだけでよ」と本人はまたしても恐縮しまくりなのだが、全然違う。
必要なことと、不要なことが絞り込まれていると言ったほうが正しいと思う。
だからこんなにシンプルなのに魚や貝や野菜の味がとても深く、深いのに押し付けがましくない。たぶん、私はそこにほっとしているのだ。

「魚愛」に溢れた漁師の魚で作りたい

10年は、彼の食材への考え方も変えていった。
以前は地魚のみだったのが、函館や五島列島など、遠くの海の魚介が加わっているのだ。理由を訊くと、“魚愛”でつながったのだという。

店が移転してからスタッフが増えて時間の余裕ができ、ワイナリーに行ったり、仕事や釣りで地方に行く機会が増えた。よその海に行くと、そこには知らなかった魚のおいしさがあり、熱い漁師や魚屋がいた。

中でも五島列島(メジナ釣りの聖地だそうだ)は衝撃だった。湘南と同じ魚種でも、海が違えば味が違う。
ということくらい知っていたつもりだけれど、これほどまでに違うのか、と。
ここで知り合ったのが「魚愛に溢れた漁師」。捕るのも締めるのも凄腕な上、魚の話になると止まらない。
秋月さんは、単に魚を取り寄せたいのではない。出逢って共感した彼らの魚で料理を作りたいし、食べてもらいたい。基準は「人」だ。

ワインは自然派、グラスで泡・白・赤800円〜、ボトル4,500円〜。

刻々と変わる、作り方を決めない料理

江ノ島駅に降り立つといつも、夏休みみたいな気分になる。
海や山の気配がして、野菜も魚も毎日違うというあたりまえのことを、するりと受け止めさせてくれる。
実際『ロアジ』の料理は、メニュー名が同じでも同じではないかもしれない。
天気によって、食べる人で、食材の状態で「こうしたほうがおいしいだろうな、と思うほうへ」ひょいっと。秋月さんは付け合わせの野菜や、組み合わせる食材、切り方なんかを変えてしまうから。

(左)シラスと青のりのスパゲッティ (右)お魚、からすみ、春菊のキタッラ

そのチューンナップが、その場にいる私たちのバイオリズム的な何かと重なるのだろうか。
あまりに居心地が良過ぎて、この前も開店の18時早々には満席になったというのに、21時半を回ってもまだ誰も帰ろうとしない。
結局、東京まで戻らねばならない私が一番に、終電を気にして店を出たあの切なさ。お喋りと笑い声が響き続ける場所を去るのは本当に辛い。

江ノ島でもそうなのに、秋月さんはいつかもっと田舎の海に移りたいと言っている。地元のみなさまのために断っておくと、いつになるかは未定なのでご安心を。
だけど、場所はちょっと心にある。
「チンクエ・テッレみたいな港町なんですよ」
うっかり想像したら、日本のチンクエ・テッレで『ロアジ』の料理をいただく日が、ちょっと楽しみになってしまった。

〈メニュー〉
アラカルトのみ。前菜750円〜。
「お魚のマリネ」1,300円
「あさりとつぶ貝と春キャベツのヴァポーレ」1,000円
「シラスと青のりのスパゲッティ」1,200円
「お魚、からすみ、春菊のキタッラ」1,400円
「金目鯛のロースト」2,200〜2,400円(大きさによる)ほか。

すべて税別、コペルト・サービス料なし。
※「金目鯛のロースト」以外の写真はすべて、1人前をシェアした分量です。

Loasi(ロアジ)

住所
〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸1-9-6
電話番号
0466-90-3200
営業時間
12:00~14:00(L.O.)、18:00~21:00 (L.O.)
定休日
定休日 火曜(不定休あり)
ぐるなび
https://r.gnavi.co.jp/krp1ahzv0000/

上記は取材時点での情報です。現在は異なる場合があります。

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