【連載】正しい店とのつきあい方。~鮨屋について その1~

店や街とのつきあい方がわからない人が増えている。初めてなのに常連と同じように扱われないと怒る人や金さえ払えば何でもしてくれると思う人。お客様は神様、などではない。客としてのあり方を街と店に深い考察を持つ江弘毅氏が語る。

2015年09月27日
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【連載】正しい店とのつきあい方。~鮨屋について その1~
Summary
・本当にいい鮨屋とは?
・「馴染み」について
・情報ベースの鮨屋選びという的外れ
・鮨屋は人に習う
・名門「福喜鮨」出身の店

「良い鮨屋」ということが情報化できない理由について。

オフィスの近所に行きつけの鮨屋が出来た。
行きつけと言っても9月3日に出来たばかりで、まだ3回しか行ってないが、まぎれもない行きつけだ。

どうしてそうなのか。
大阪の福島に出来て行きつけになったその店は[鮨ふみ]という店だが、その店のあれやこれやは後回しにして、まず鮨および鮨「屋」について考えてみたいと思う。

「うどんとお好み焼きと鮨は近所のがいちばんうまい」というようなことをここ数年、新書や単行本で書いてきたが、「近所にお好み焼き屋も鮨屋もないオレたちはどうするんだよ!」という厳しい反論を頂いている。
 
確かに京都や大阪のように、家や職場の近所や通勤最寄り駅などに、必ずうどん屋やお好み焼き屋や鮨屋があるという街は、全国レベルでみるとこちらの方が少数なのかもしれない。

けれども鮨屋は「行きつけ」または「馴染み」でないと、心底美味しくないのではないかと思う。
そこしか行かない理由が、その街を代表する高級な鮨屋が妻の実家であったり、小学校の時の同級生が2つ星の割烹の板前である、というのが最上級なのだが、当然のことなかなかそうはいかない。

同じ鮨屋に通うのは、自分だけ依怙贔屓してくれていいネタが出てくるというレベルではなく(当然それもあるが)、鮨屋というのは「肌が合う、合わない」なのだ。極論するとネタの良さとか値段はあってないようなものだ(実際は大いにあるが)。
だからあなたが良いという鮨屋と、わたしが良いと思う鮨屋は違うしズレる。

鮨屋のカウンターに座ると、板前は客の前で魚を捌き、切り身やナマの貝を刺身にする。血の付いた部分を取り除いたり皮をこそげ取ったりしてネタにする。
 
素手に酢水をつけたうえシャリを手でつかみ、シャリ玉の上にわさびを指で塗り、それからネタと合わせて握り、指で押したり手のひらの中でひっくり返したりして鮨にする。

こういう極めて身体的でシンプルな料理ゆえ、そのひと個人の感覚的なものが大きく左右する。それはネタが良し悪しシャリのどうこ以前の話だ。握る鮨職人の手指や身体や顔つき声、まな板、庖丁、酢飯が入った桶、ふきんや巻き簀、つけ台……が自分に馴染むかどうかだ。
本来「馴染みの店」というのはそういう意味なのだろう。

だから「良い鮨屋がどういう店なのか」ということはデータ化したり情報化したりしても、基底のところではあまり意味がない。
初めて行く鮨屋に行ってみてわかるのは感覚的なことだけだ。味覚つまりおいしいと感じるかどうかも、確かにその感覚的なことのひとつだが、それは単に店を消費しているだけで、その店が自分にとって、鮨が握られて出てくる以前のあれやこれやが、感覚的にオッケーかどうかよりは低次元だ。
 
「イケる」と思ってその店に数回行っても、何ひとつその鮨屋のことを「分かった」とはいえない。
星の数や情報ベースであっちこっちと食べ歩くグルメの最大の弱点は鮨屋についてのそこのところだ。
こと鮨屋の情報は自称グルメでたくさんの店を知っているとか、食べログに食通よろしく書き込んだりするような人は、鮨屋に馴染むということに無縁だから、まったく彼らの鮨屋情報は、ハモが由良産か沼島産かみたいなことになって、的外れなものとなる。
グルメ誌や食べログの評価をチェックして、店に行く軸足とはまったく違うのだ。

[すきやばし次郎]的に鮨屋がメディアに登場したのはやはりグルメブームの90年代頃。本格的に情報化されだしたのは2007年にミシュラン・ガイド東京版が登場してからだ。
未だ多くの鮨屋でメニューや値段表記がないことが物語るように、鮨屋の情報は基本的にクローズであり、わたしたち編集者やライターが特集をする場合は、書き手の行きつけの店であるか、取材対象となる店には馴染みの客に顔つなぎを頼んでもらって取材させて頂いていた。
そのあたりは祇園や北新地のクラブやラウンジと同様であった。そしてこれらの類の夜の店に関しての取材や情報化事情は今も同じで、近頃の鮨屋と違ってタウン誌やガイドブックに載ったりしない。

その鮨屋の母国語を知ることでしか分からない。

初めて暖簾をくぐる鮨屋は「誰かに連れて行ってもらう」のが常套手段だ。
グルメ情報をベースとして行くものではなく、その鮨屋で先輩にあたる人に連れて行ってもらうものだ。

また連れて行ってもらったりして初めて行っても「分からない」。どういう鮨屋なのか、つまりそこのやり方やスタイルやスタンス、流儀…といったものは、カウンターに座っても分からないしメニューにも書いていない。
とにかく「分かっている人」つまり、その店の先輩にお任せするか教えてもらわないと何一つ分からない。

初めて行った鮨屋が、前項の自分の感覚的に「イケる」という幸運きわまりない鮨屋だったとしても、
「どうして値段が表記されていないのか」
「ネタの注文の順番はあるのか」
「いきなりトロを注文していいか」
「手でつまむのか箸で食べるのか」
そういった疑問、食べ方、値段…のどれもに正しく答えることはできない。
仮にそういう「正しさ」があったとしても「正しい」ことが、鮨屋でおいしく食べることにおいてはさして重要ではないからで、むしろ「ウチの店はこうですから」という店のスタイルなりスタンスと、客側の好みがピタッと重なるかどうかが肝心だ。

そこがまさに料亭や割烹につきものの敷居の高さや暖簾とは異なる「鮨屋のボーダー」であり、それが一見で店に現れるグルメを簡単に寄せ付けてはくれない。

本当はそうではないんだろうが、鮨屋へ行くのに一番ネックとなるのが値段。
街場の鮨屋に初めて入って「おまかせ」で食べたとしよう。そこで帰り際に「2万円」(2千円もあり)といわれたら「はい」と払うしかない。それに驚いたり疑問を感じたりして「明細を見せてください」とか「トロが1カンの値段は?」と問うことは許されない。
それで「??!」となった場合は、もうその店に二度と行かない、という方法しかとりようがない。

たとえば[すきやばし次郎]について、「座って30分で2万円はないよな」などといった声を聞くが、30分で10数カン食べておいしかったんだからいいじゃない、しか返せない。トイレもないしそういう店なんだろう。
むしろ開口一番「何分いくら、高い」というのを聞いて、「それは風俗店の発想だろ」などと思ってしまう。

「分からない人」は行ってはいけないのだ。
「分かっている人に連れてってもらう」ということは、「人に習う」ということで「先人より遅れてその店に行く」入り方で暖簾をくぐり、そこからこの店はどういう店なのか、そこでのルールやシステムなどなどを体験しながら後づけで知ることになる。

けれども最も知りたい「何がうまいのか」や「何を食べるといくらなのか」は、当然その日その日のネタが違うという鮨屋商売の原点に加え、店とのいろんなやり取りを繰り返すことでしかわからない。

これは外国語を習得するのに似ている。
誰かにその鮨屋という国の言語のイロハを習うように、何回か行くうちに店とのやり取りでそこの文法や言い回しがだんだんわかってくる。
だから行きつけの鮨屋は気安くてわがままが言えたりするし、時に違う街の鮨屋に連れて行ってもらったりする愉しさがある。

この辺の蒸し穴子はいったん炙ってツメを塗るとか、この季節のコハダは新子で小さいから3匹付けだとか、その街の人の通訳で新しい店を経験することはとても楽しいし、そういうことがきっかけとなり、違う街の鮨屋を一軒「覚える」ということは、街的にこの上なく貴重だ。

鮨屋について言えば、うまいものにありつける方法とは、グルメ情報をたくさん身につけて、場所替え店替え品替え行きまくるではない。「うまいものを求めて、にしひがし」というのでは、結局ロクなものが食べられない。

「特集うまいラーメン100軒」を見てそこに食べに行くと、高い確率でうまい100杯のラーメンにありつけるかもしれないけれど、グルメ誌の「特集 おいしい鮨屋100軒」を見て、片っ端からのれんをくぐったとしても、100通りのうまいにたどり着くわけではない。ひょっとしてどれもが「?」という結果になるかも知れない。

値段表記やメニューのあるなし、ネタがショウオフされていなくて客が「今日は白身は何が」と訊く店、すべて「おまかせで」の店、ガラスケースを見るなり「おー、赤貝うまそうや」といきなり「赤貝、造りで」と注文する店、手で食べて風流な流水の溝で指先を洗う店、ネタに醤油をしゃしゃっと刷毛で塗る店、ネクタイを締めている板前が握る店、地元のヤンキー上がりの鉢巻兄ちゃんが握る店……どれもが紛れもない鮨屋である。

そしてその店固有のリアリティは、なかなか情報誌的にデータ化できないから、「鮨屋」と「わたし」とのパーソナルヒストリーで語られることになるのが常だ。
街場のいい鮨屋を語るには、グルメ誌や情報誌の方法論としての歴史が浅すぎて、まだまだこなれていない。

やさしい見方をすると、その母国語の一軒が見つからないから、鮨屋の情報が欲しいということだが、「極上の鮨の名店」といった特集を読んでも結局「あぁ、こんな店は行けないよなぁ」が分かるだけだ。
逆説的だがグルメ情報誌の鮨特集で学べることがあるとするなら、「どこの鮨屋へも行けるわけではない」ということである。

だから誰かに連れていってもらうなら話は別だが、自分が行く鮨屋は、結局「いきなりトロ!」のいつもの店しかないのだ。

そういう意味で長年、鮨を握ってくれていた板前が独立して、それも近所に店を開店した今回の[鮨ふみ]のケースは、幸運極まりないとしかいいようがない。

[鮨ふみ]店主の平谷史郎さんは、6~7年前からわたしがよく行ってた大阪・北新地の東京系鮨系列店の店長代理だった。
その店はテーブル席を入れるとキャパが50人を超える大店だった。
もちろん常連さん馴染み客も多いが、大きな店なのでパブリックな感じがしていた。

5~6人の板前がカウンター前の客をさばく。
平谷さんのテキパキした仕事と、聞けばこの店の前は名店の[福喜鮨]にいたらしい、本手返しと捨てシャリの時に桶を叩く福喜鮨系職人の技がほかの板前より光っていた。
わたしは数年前に、雑誌に『有次と庖丁』を連載していたのだが、かれは偶然有次の庖丁を使っていて、その話を中心にあれこれ聞かせてもらったりした。
「京都の有次の庖丁のことやったら、ずっと使ってるんでもっと早く言うてもらってたら」とのことで、以前より一層かれと懇意になり、それこそ「その店の客」ではなく「平谷の客」になったのである。
 
平谷さんが独立するためにその鮨屋を上がった後、数回行ったきり、わたしは北新地のその鮨屋に行かなくなった。
それから1年以上だったか、開店の挨拶案内状が郵送されてきた。
店は歩いて10分程度の場所だった。
開店の前日に様子を見に行き、開店当日は開店祝いのお酒を一本ぶら下げていった。
こういうふうにして店とつきあえるから、当然、鮨はわたしにとって文句なしにうまい。

<予算>
コース10,000円

※江弘毅さんのスペシャルな記事『いい店にめぐり逢うために知っておきたいこと』はこちら

鮨ふみ

住所
〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島7-7-24 スリーエスビル1F
電話番号
06-6345-4423
営業時間
17:00~23:00
定休日
定休日 水曜
ぐるなび
https://r.gnavi.co.jp/pbae6th60000/

上記は取材時点での情報です。現在は異なる場合があります。

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岩瀬大二
ワインナビゲーター/酒旅ライター/MC