由比ヶ浜のある女性シェフの「素敵」がいっぱい詰まった伊料理の話

【連載】通わずにいられない逸品  トレンドに流されず、一つのお店を長く観察し、愛しつづける井川直子さんにはその店に通い続ける理由がある。店、人、そして何よりその店ならではの逸品。彼女が通い続けるそのメニューをクローズアップする。

2016年01月11日
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由比ヶ浜のある女性シェフの「素敵」がいっぱい詰まった伊料理の話
Summary
1.豊富なメニューを見るだけで迷う一軒家イタリアン
2.試行錯誤しながらずっと愛され続けてきた女性シェフ
3.予算6,000円ほどでいただける寛ぎの店

見切り発車で走り出したシェフ

太い料理というものが、私はあると思っている。
由比ケ浜「マンナ」、原優子さんの料理はまさにそれだ。
原さんと出会ったのは1999年くらいだから、もう17年前の話になる(びっくり)。当時、彼女は東京・用賀にある「ミノーレ」のシェフだった。
弱冠27歳。修業は六本木「サバティーニ」のサラダ場で1年、神宮前「ラ・グロッタ」で前菜を1年。あとはイタリアで食べ歩いた3週間のみ。
完全に見切り発車で走り出してしまったがゆえに、最初のうちはクレームの嵐だったという。

それでも「ミノーレ」は、愛される人には強烈に愛された。
実際、私は評判を訊いて取材に来たわけで、しかも取材後すぐにプライベートで予約を入れることになる。
彼女の料理は、記憶にくっきり足跡を残すのだ。なぜか。90年代イタリアンブームの余熱が続いていて、現地で修業したシェフがゴロゴロいた時代にもかかわらず、だ。

自身の力不足を重々承知していた原さんは、自分で自分を鍛えるように早朝からパンを焼き、グリッシーニもパスタもすべて手打ちした。体力も睡眠も、知識や技術も、あらゆるものの限界値をはみ出し気味に、もがきながら叩き上げた。
とはいえ食べ手に伝わってくるのはストイックなどでなく、作りたいものをガンガン作っている、というか、作りたいものしか作っていない喜びだ。
「甘さ控えめ」がお菓子の褒め言葉だったあの当時、原さんは迷いなく「頭がキンキンするほど甘くなきゃイタリアのドルチェじゃない」と言い切った。名言だと思った。

常連客の好きな料理を消すことができない

でも突然、縁もゆかりもない湘南に移住してしまったのだ。
当時は有機野菜が注目されていて「ミノーレ」でも使っていたけれど、「いい素材を選りすぐって取り寄せる」ということが腑に落ちなくなったのだそうだ。
2001年、由比ケ浜で7坪の小さな店「ナディア」を開店した時は、空調の効きが悪い厨房で汗だくになって料理を作っていた。

出産のため一時休業。でも7ヶ月休んだだけで、長谷の古民家に移転して復活。
「ナディア」を強烈に愛するお客が増えるにつれ、彼らの好きな料理を消すことができなくて、メニューの品数はどんどん増えた。

A4の紙一面にびっしりと書かれたメニューは「作りたいものがあり過ぎる!」 と訴えているような気もする。
そう言うと、「自分が作りたいというより、お客さんが喜ぶから」と正された。
作ることが好きという気持ちは、いつからか使命感に変わったのだそうだ。料理を作るだけじゃ満足できない。食べた人が喜んで初めて、自分が満足できることに気がついたのだと。

2009年、再び由比ケ浜へ移り、一軒家の店「マンナ」を構えた。イタリア語で「糧」というのだそうだ。
A4びっしりのメニューは健在で、それを見れば湘南の海がわかり、畑が見え、季節を感じる。
9月の終わり頃、旨味ののった佐島の鰹は軽くスモークしてディルやコリアンダー、フェンネルとサラダに。毎朝、連売(鎌倉市農協連即売所)で買う季節の野菜はチーズ焼きに。富士山の天然キノコはタリアテッレと。

相模湾の朝網で揚がる魚介は、前菜ならマリネやカルパッチョやフリットになり、セコンドならオーブン焼きかグリルか煮込み。非常にシンプルで、曰く「何でもない料理」。

昨日と今日、さっきと今でも違う「何でもない料理」

「私は同じものを繰り返し作ってるけど、そのたびに新しい発見があって、変わり続けている気がします。私たちは毎日違う空気を吸って生きているわけで、季節の移り変わりもあれば、昨日と今日も同じようで違う。今日は暑いからこういうのを食べてもらいたいとか、そんな料理」

同じ「鰹のスモーク」でも、昨日と今日ではハーブが違うかもしれない。いや、さっきと今とでは何かの塩梅が違うかもしれない。葉のちぎり方、合わせ方、ポルチーニのサラダを和えたボウルを別の料理でそのまま使ったりなどもする。すると香りや味が重なって、もっと深くなる。
湘南で、彼女の料理はそんなライブ感のある「何でもない料理」になっていった。じつに太く。いつの間にか、イタリアのマンマになっていた。

小学生の頃、何になりたい? と考えて「生きることをちゃんとしたい」と思った女の子は、料理人になった。生きることは、食べることだから。
地に足のついた食材は「ほんのちょっと手助けするだけで、勝手にどんどんおいしくなる」と、相変わらず彼女は堂々と言う。
原さんの料理は、人が生きるための「糧」になっている。知らないうちに丸まってしまった背中を、バシッと叩いてくれるような力に満ちている。
ああそうか、私は背中を叩いてもらいたくていつも湘南新宿ラインに乗っていたのか、と書きながら気がついた。

※写真は、ドルチェ「カッサータ」を除くすべてがシェアした量(1/2人分)です。

〈メニュー〉
アラカルトのみ。
前菜1,200円〜、プリモ1,400円〜、セコンド2,000円前後。グラスワイン泡1,000円〜、赤・白700円〜、ボトル4,500円〜。

※江ノ島電鉄「由比ヶ浜駅」から約2分。小さな看板を見逃さずに。全14席。

MANNA (マンナ)

住所
〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷2-4-7
電話番号
0467-23-6336
営業時間
12:00~14:00L.O.、18:00~20:30L.O.
定休日
定休日 日曜、第1・3・5月曜 
ぐるなび
https://r.gnavi.co.jp/91rm6n460000/

※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。