老舗と呼ばれる店が知ったかぶりのニセモノなグルメ通を嫌うことについて

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2016年09月06日
カテゴリ
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老舗と呼ばれる店が知ったかぶりのニセモノなグルメ通を嫌うことについて
Summary
1.老舗にはその店の光景や空気の一部として「店に溶けている」ような客がいる
2.つまらぬグルメ意識こそが「知ったかぶり」に直結する
3.一流の店、腕に自信がある料理人が嫌うのは、客が「知ったかぶりのグルメばかり」になること

長く店をやるというのは大変なことだ。並大抵のことではない。
戦災、震災や火災などの災害、行政やデベロッパーの都市計画による立ち退きや地上げ。
そういう外的要因をくぐり抜けたり、あるいは訳あって移転したにしろ、後継者がしっかり店を受け継いでいるということがすごいのだ。

きつねうどん発祥のうどん専門店、開店以来100年タレを継ぎ足しして守ってきた鰻屋など、それ一筋でやってきた店。
もともとはコロッケ専門店だったが、戦後ドミグラスソースが好評でハンバーグやハヤシライスがメインになった洋食店など、業態を転換しながら今に至っているレストラン。
老舗の商品たる名物料理はそれぞれの歴史の具現そのものである。

けれども古い店のやっぱりいいなと思うところは、いつもその店やその街の先輩が客としていることだ。

その先輩は、先達としてもちろん自分より前にその店に行ってる客で、父親や会社の上司なら「知らない店に連れてっていってもらう」という仕方で扉が開き、その店での第一歩が始まる。
先輩はまず、何がおいしくてどう食べると良いのかを教えてくれるだろう。

情報ベースである料理店に行きたいと思い立ち初めて訪ねたときも、その店にいる先輩の存在は有難い。
たまたま隣の席の客の様子を見ていると、その店の長い客であるかどうかがわかることがある。
そんなときはその先輩の真似をするのが一番である。
というよりも店に入ってグルメガイドを広げたりスマホで検索して…というのは、あまりおいしいものにありつくやり方ではない。

外国人観光客やあっちこっちと星で食べ歩くグルメたちで半年先まで予約がつまっているような店よりも、その店の光景や空気の一部として「店に溶けている」ような客がいる店の方が、老舗っぽいおいしさを実感がする。

いつ行っても先輩がいる(気配がする)店に行くと、別に知らない他人客に威圧されるわけではないが、なんだかアタマが上がらないような気になったりする。
何回行っても何年通っても、「自分はまだ常連ではない」と意識付けされることは確かに微妙につらい。

けれどもいつも先輩がいるということは、いつでも教えてもらえるという幸運に恵まれるということだ。
自分が「遅れてきた客」であり、未だ「知るに至らない」ことを実感することを、「煩わしい」とちょっとでも思ったりすると、古い店の楽しみはそこで止まってしまう。
ほかの客より自分の優位性を誇示しようという、ちょっとしたつまらぬグルメ意識こそが、「知ったかぶり」に直結するのだ。

古い店のあれやこれやの奥行きは深い。
その店に20年行っても、100回通ってもまだまだ「わからないこと」があることこそが、良い店の大いなる魅力であり、自分にとってはその都度新しい発見になる。
それが楽しいから老舗と呼ばれる古い店には何回も行きたくなるのだ。

星で店を選び、あっちこっち行き回るというのも確かにエキサイティングだが、古い店をそのやりかたで消費するのは違う。
さまざまな情報を入手し比較したうえでその店にアクセスし、ひととおり食べるだけでその店のなんたるかがすぐさまわかってしまうのは、何だかつまらない。

老舗の飲食店がしばしば取材拒否し、メディアに露出するのを嫌うのは、「知らない客」が多くなると、「知っている客」の足が遠のくからだ。

当然のことだが店の歴史は店と客が積み重ねてきたものだ。
何代も代を重ねたその店の現在進行形は、それを「わが店」として引き継いだ当主のものだ。
けれども当主は、先代からあるいは2代前の祖父と客との時間を直に経験してきているはずだ。
その店の先達こそが、それを「知っている客」である。

この過去から現在の積み重ねの事実関係のことを「暖簾」あるいは「看板」というのだろう。
暖簾は本物でなければならない。老舗の暖簾を引き継いだ当主は、もう存在しない重くて長い過去を前にして、本物を出し続けないと暖簾に傷が付くことを知っている。店が傾くと看板を下ろさなくてはならない。

老舗の店のご主人に謙虚な方が多いのは、「知ったかぶり」がニセモノであることを身体で知っているからだ。
新旧問わず一流の店、腕に自信がある料理人が嫌うのは、客が「知ったかぶりのグルメばかり」になることである。
かれらが商売上で暖簾や看板を大切にするというのはそういうことだ。

大阪・福島にある鰻の老舗『菱東』は大正10(1921)年創業。
暖簾や看板に「東京流」と書かれているように、蒲焼きは背開きにして蒸しが入る江戸焼きだ。
3代目の東条恭三さんが店を継いでいるが、包丁からして京・大阪の鰻包丁とはまったく形状の違う「江戸裂き」を使っている。

初代は戦前まで大阪最大の花街だった新町の『菱富』で修業した。
この菱富は大阪最古級の鰻屋だが江戸焼きだ。
何でも飲み込んでしまう大阪の「食」は一筋縄ではいかない。

『菱富』のいわば暖簾分けであるが、店名は苗字の「東条」の「東」をとって『菱東』とした。
7軒長屋の2軒分を店にしている建物は、明治42(1909)年、天満から出火し、北新地、堂島、福島と焼失したキタの大火「天満焼け」のあとに建てられたもので、太平洋戦争の空襲をかろうじて免れた。
大阪キタ界隈では珍しい旧い長屋だ。

急須ごと出てくるお茶。
蓋を取りやすいように、ちょっとずらされて出てくる肝吸い。
柔らかい江戸焼きに合うあっさりとしたタレ。
うな重の箱の角に口を付けるようにしてかき込みたくなる。

※江弘毅さんのスペシャルな記事『店づきあいの倫理学』はこちら

菱東(ヒシトウ)

住所
〒553-0000 大阪府大阪市福島区福島5丁目7-9
電話番号
06-6451-5094
営業時間
11:00~13:30(閉店14:00)、17:00~20:00(閉店21:00、土曜は昼のみ)
定休日
定休日 日・祝(GW休、盆時期休、年末年始休)
ぐるなび
https://r.gnavi.co.jp/k333n32x0000/

上記は取材時点での情報です。現在は異なる場合があります。

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