【ディープな新宿の知られざる名店案内】ゴールデン街より濃い横丁にたたずむ日本屈指の居酒屋の味を堪能

【連載】幸食のすゝめ #045 食べることは大好きだが、美食家とは呼ばれたくない。僕らは街に食に幸せの居場所を探す。身体の一つひとつは、あの時のひと皿、忘れられない友と交わした、大切な一杯でできている。そんな幸食をお薦めしたい。

2017年06月30日
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【ディープな新宿の知られざる名店案内】ゴールデン街より濃い横丁にたたずむ日本屈指の居酒屋の味を堪能
Summary
1.歌舞伎町の核、風林会館前の路地裏にあるディープなエリア・新宿センター街、通称「思い出の抜け道」
2.田中小実昌も行きつけにしていた、日本を代表する居酒屋といえる一軒
3.料理はすべて時価だが、街の居酒屋よりほんの少しだけ高い価格で、刺身からステーキまで一流の味

幸食のすゝめ#045、時価の肴には幸いが住む、歌舞伎町

「よく都電の線路に五円玉並べてさ、手裏剣作ったよな」、「そうそう、間違えてさ、山手線に置くと大変なんだよ。ペランペランになっちゃってさ」。
「そう言えば、大将、新宿騒乱って何年だっけ?」、「あれは、17の時だから、確か1968年ですね」。

「俺、あの時、デモに参加しててさ。後ろの方ではぐれた彼女が機動隊の盾で押さえつけられてるの見て、急に怖くなって逃げ出したんだよね、今思い出しても恥ずかしいよ」。
「で、その彼女とは、その後どうなったんですか?」、「もちろん、終わったさ」。
この店のカウンターでは、今夜も昭和の新宿が昨日のように語られている。大学生の頃、恐る恐る初めて暖簾を潜って以来、ここではいつも、僕は青い新参者でしかない。

歌舞伎町の中でも特にディープな「ツウ」が通う街、思い出の抜け道

歌舞伎町の繁華街から区役所通りに進み、「思い出の抜け道」と書かれた黄色い看板を抜けると、歌舞伎町の核、風林会館前の路地裏に出る。ここは、西口の“思い出横丁”、近くのゴールデン街より、さらにディープな街。正式名称は、新宿センター街だ。
店主で二代目の海老沢一善さんは、新宿センター街で生まれ、店の上で育った。いわば、生粋の歌舞伎町っ子だ。
新宿センター街の誕生が1951年だから、程なくして生まれた大将は、この街の歴史のほとんどを知っていることになる。
メイン通りに面するビルは継ぎ足しや店舗の拡張、看板などで、複雑な構造になっているが、屋上庭園を真ん中に部屋が立ち並ぶ様は、パリのアパルトマンを思わせる洒落た造りだ。

魔窟の中にあって、最上のクオリティの魚介が楽しめる居酒屋

パリからアジアンゴシックへ、新宿センター街のイメージが一気に九龍城化したのは、馳星周のベストセラー『不夜城』によるところか。この街で働く中国人コックが青龍刀で惨殺された実際の事件をベースにした物語で、映画化された時には新宿センター街がロケ地になった。
今でも、店裏の路地、『上海小吃(シャンハイシャオツー)』の辺りに立つと、背筋がゾーッとすることがある。ひしゃげたトタンとベニヤ張りの一畳ほどのバラック、走り回る猫と大鼠。
そんな魔窟の中、外に七輪を出してくさやを焼いている店が見つかったら、それがこの店だ。

直木賞作家・田中小実昌も愛した「行きつけ」にしたい店

九州の文学少年だった頃から、僕はなぜかこの店のことを知っていた。きっかけは何かの雑誌で、作家のコミさんこと田中小実昌氏が行きつけの店として紹介していたからだ。たくさんの著名人が焼酎や泡盛、地酒の店を紹介する中、コミさんは「僕はここではジン、そして、ステーキとオムレツを食べるの」と洒落のめしていた。すぐに、神保町の『兵六』や『ランチョン』と並んで、上京後の行きたい店リストの筆頭を飾った。
初めて訪ねた頃は、大将がご夫妻でやられていたが、オールグリーンなどの炒め物を頼むと、素早い動作で2階からお母さんが降りて来られた。あの頃の僕は、40年後にコミさんの孫、『The OPEN BOOK』のカイくんと、サシでここに飲みに来るなんて想像もしてなかった。

これほどに生ものが美味しい居酒屋にはなかなか出逢えない

この店では、最初に何か、魚か貝のお澄ましが出てくる。アルコールを入れる前に、何か優しいものをおなかに入れてあげようというホスピタリティだ。築地に通い、常に新鮮な魚を仕入れるからこそのお澄まし。生ものがこれほど美味しい居酒屋には、なかなか巡り会えない。先に予約すれば、河岸で仕入れ、すっぽん鍋さえ作ってくれる。血と、肝刺し、胆嚢から始まり、雑炊に終わるコースは圧巻、それでいてリーズナブルだ。
もちろん、卵8個を使ったオムレツや客の年齢や体格を見て、大将が肉をカットし始めるステーキは今でも名物。オールグリーンや芋ニンニク、タンニラなど、ここでしか出逢えない名物料理も見逃せない。

酒飲みにはたまらない料理の数々

酒飲みにはたまらない、くさやや莫久来(ばくらい)、酒盗などの珍味も揃っている。莫久来は、ホヤとコノワタを合わせたもの、酒盗は鰹の内臓の塩辛だ。最近はステーキ用の牛肉を使った牛カツも人気が高い。どれもがうまく、量が多いが、1人客にはちゃんとハーフで作ってくれる。

居酒屋の頂点を極めるクオリティ

親子3人だったこの店は、お母さんが亡くなられて、大将と奥さん、次男と、やはり親子3人となった。息子さんが大将と変わらない巨漢のため、カウンターの中は大変なことになっている。最近、料理を本格的に学び始めた息子さんは、少しずつ料理の担当を増やしつつある。新たな技と知識で新メニューが出来る日も遠くないだろう。

最後に一つ、この店には一切の価格が表示されていない。飲み物もメニューも、すべて「時価」。怯えながら刺身の類を食べたら、その余りの鮮度の良さと味に、一体いくら払うんだろう? と不安になるかも知れない。しかし、心配は無用。街の居酒屋より、ほんの少しだけ高い価格で、刺身からステーキまで一流の味覚に会うことができる。
ここほどの店は、全国にも数える程しか無い。
時価の肴には、幸いが住んでいる。

<メニュー>
価格はすべて時価

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