1月28日「すきやばし次郎のエレガンス」
握りは置かれて、微かに沈むのだが、黒板に映り込んで、宙に浮いていく。
分厚く切られた鯖が、酢飯にふわりとしなだれる。
親指と人差し指でつまみ、すばやく口に運ぶ.
人肌の酢飯が、舌に優しくキスをする。
鯖は、しとしとと脂を滲ませ、酢飯と踊る。
寒さに負けじと身につけた脂は勇壮である。
しかしどこにも、これ見よがしな自己がない。
豊かで優しく、愛に満ちながら、華奢な影がある。
命の豊かさに秘めた脆弱さを認めた味なのかもしれない。
豊満でいながら華奢を忘れない。
だからこそ、ハラハラと舞い散る酢飯と踊るのだろう。
たくましい味わいなのに、手からするりと逃げていくような切なさがある。
それはとてつもなくエレガントである。
帰り際に「鯖が素晴らしかったです」と伝えると、
「いやあ、脂がのってきてよくなったねえ」と、屈託のない笑顔を浮かべられた。
半世紀を越えて握り続けていても、いまなお魚が良くなってきたことが、嬉しくてたまらないという表情である。
だからこそ、90歳の職人が握るすしは、エレガントなのである。
すきやばし次郎
- 電話番号
- 03-3535-3600
- 営業時間
- 11:30~14:00、17:30~20:30
- 定休日
- 定休日 日・祝日、土曜夜、8月中旬、年末年始
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。
1月29日「40年作り続けるエチュベとかき卵」
野菜たちの体に、幸せが満ちていた。
カブも人参も、胡瓜もカリフラワーも、斉須シェフの手にかけられたことを誇りに思い、輝いている。
命のしずくを滴らせ、「食べて」と、耳元で囁く。
塩と酢、コリアンダーが使われているが、この一点しかないという、味の頂きを極めて、佇んでいる。
それは静かで、どこまでも健やかな味である。
どこまでも透き通った、うま味である。
正直に言うと、僕はこの料理を初めて食べた30歳の時、良さがわからなかった。
さらりと舌の上を通り過ぎていく、野菜の声を聞くことが出来なかった。
でも今は、しみじみと、しみじみとうまいなあと思う。
食べ終わっても、微かなうま味の余韻が、体の底からさざ波のようによせては返す。
平和は、いまここにある。
「僕は学校行っていないから理論はわからない。でも野菜をこんな食感にしたいというイメージがあって、それで色々考えてやっているうちに答えを見いだす。してやったりという感じでたのしいんです」。
「この野菜のエチュベは、パリにいた時だから40年近く、ほぼ毎日作っています。でも出来上がると、明日はもっとうまく作れる。そう思うんです。」
65歳のシェフはそう言われて、目を輝かせた。
ひと口食べて体が溶けた。
玉子の精が濃縮して、固まっている。
いや固まっているのではない。固まるか固まらないか、そのギリギリのキワで玉子は身を寄せ合っている。
てれん。
口に入ったかき卵は、舌に甘え、しなだれ、消えていく。
トリュフの妖艶な香りで、心をかき乱しながら、消えていく。
しかし主役はあくまで玉子である。
縁に流された赤ワインソースも、旨みを足すというソースではない。
酸味と香りで玉子の甘みを持ち上げる役割に徹したソースなのである。
その塩梅の美しさに、陶然となる。
食べながら虚空を見つめ、無口となる。
もはや現世の食べ物ではないような気がしてきた。
「玉子は三回寄せ合う。玉子を割ってバターを投じ、混ぜます。そしてその銅鍋を湯煎にかけるのですが、しばらくすると玉子が寄ってくる。そこで湯煎から外すと、また緩くなる。そうして三回目にこの料理は、完成します。」
この料理を作っているときだけは、誰も斉須シェフに声をかけない、かけられないという。
ヴォークリーズ産黒トリュフのかき卵。「コートドール」にて。
1月31日「知らないアンコウの味」
溌剌とした勢いが、舌を流れた。
アンコウの刺身を食べた。肝の刺身も食べた。
船上で神経〆されたという14キロのアンコウは、‘’溌剌‘’という、この魚に似つかわしくない言葉をイメージさせる。
その水気は、みずみずしく舌に広がり、ほのかに甘い。
肝は、ああ肝の刺身は、僕らの知っているあん肝ではない。
蒸したあん肝のいやらしさが微塵もなく、澄んだ命の味がする。
清らかさの中から微かに肝の色気がにじみ出る。
そして圧巻が炙りだった。
グリッと凛々しい肉に歯が入ると、ゆるゆる甘みが流れ出る。
勝田 「京遊膳 花みやこ」にて。
2月3日「香港の滋味を味わう」
香港「生記海鮮飯店」の料理は、あたりがいい。どれも味が柔らかく着地していて、食材の味わいが生き生きと迫ってくる。
塩がふわりと染み入った鶏は、滋味が優しく、スルメとレンコンのスープは、レンコンの甘みが深々と広がって、充足のため息をつかせる。
イカは微かなスパイス香が食欲を煽り、スルメと豚肉のハンバーグは、豚肉の甘みとスルメの旨みが見事に出逢って、唸らせる。
魚と肉団子のお粥も、淡味の中にしみじみとした滋味があり、蓮根餅は初めて食べるのに、懐かしく心を温かく包み込む。
酢豚は、甘みの抑えが見事で、なによりもきめ細かい肉と引き締まった脂を持つ豚肉が素晴らしい。
サービスは気さくでいうことがないし、なによりお客さんに美人が多いのが、誠によろしい。
生記海鮮飯店
- 電話番号
- +852 2575 2239
- 営業時間
- 11:00~15:00、17:00~深夜
- 定休日
- 定休日 第一月曜、旧正月
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。
※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。
2月9日「京都・伏見で人情をいただく」
「秋刀魚、焼いて」。
「ゴメン。秋刀魚終わってしもたわ。鯖はどうです? 今日の鯖はいいですよお」。
「そんなん 押し売りやん。・・・・食べる」。 「一応言うかんとね」。
鯖を食べ終わって
「食べた。きれいに食べた。もう骨とレモンのカスしかない」。
「皿がまだあるやん」。
「皿て。今度来る時は、食べる皿つくっとき」
伏見の『酒房わかば』では、こんな会話が常に飛び交って、おいしい賑わいに満ちている。
どのお客さんも、幸せな笑顔で飲んでいる。
そりゃそうである。『たん熊』で修業なさったという息子さんの作るお造りやおばんざい、お母さんの作る炒め物や揚げ物、煮魚は、どれも味がピタリと着地して、心を弾ませる。
いやそれだけでない、なによりも味わいに人情が染みていて、じわりと気分を安らげるのである。
時折起きる親子喧嘩も、また酒のいいつまみである。
ポテトサラダや胡瓜の酢の物、鶏玉とヒモの煮物、メバルの煮つけやだしが溢れるだし巻き卵。
「どこにでもあるもんで作りました」とお母さんが、恥ずかしそうに作って出した玉子と玉ネギを炒めあわせた「たまたま炒め」は、醤油と砂糖の味のあたりがほどよく、顔が崩れる。
さらには注文されてから、玉ネギを切り、ミンチと混ぜこね、焼いたハンバーグは、たっぷり含んだ優しい旨みが、口の中でふわりと崩れて、食べた瞬間に、自分の母親を思い出す。
今度来る時は、玉子ほろほろや玉子くちゅくちゅも食べるからね。
裏メニューの焼飯や、それだけでつまみになる上等なタルタルで、フライも食べるからね。
ああ、また来よう。
京都に心を休めに、また来よう。
酒房わかば
- 電話番号
- 075-621-3719
- 営業時間
- 17:00~24:00(L.O.23:00)
- 定休日
- 定休日 日曜・祝日
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※電話番号、営業時間、定休日、メニュー、価格など店舗情報については変更する場合がございますので、店舗にご確認ください。